全体の生産量が需要よりも増えると値崩れにつながってしまう。これはとくに規模の小さい農家にとっては、収入に直結する事態である。農家の平均年齢は約70歳と高齢化し、年収も多くない中で、コメを5kg2000円という価格帯で販売していてはとても生活が成り立たない。年金があるからなんとかなっているに過ぎない。そこで政府は、米から麦や大豆などへの転作を促すための補助金を交付し、コメの過剰供給による値崩れを防いでいるのだ。

「コメの価格が高いから減反をやめろ」といった声を聞くと、コメ農家の現状を知る者としてはずいぶん酷なことを言うものだと理解に苦しむ。こうした主張をする人の多くは、おそらくコメを食べていないのではないだろうか。

実際にコメを積極的に購入しているのは中間層から上層の人たちであろう。世帯収入が高く、品質がいいコメであれば、お金を出してでも買いたいという人たちだ。そうなれば農家が高級米の生産にシフトしていくのはいうまでもなく、ますますコメの価格は上がっていく。飲食店のように大量のコメを求める場合は輸入に頼ることになるため、一般的な小売店で流通するコメが値下がりする要素はあまりないのだ。

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自由市場であれば、価格は上下する

そもそもコメが足りないと国民が怒ったり、メディアが批判したりすること自体がおかしいと私は思う。

かつて日本には「食糧管理制度(以下、食管制度)」があった。これは、農家がかかったコストよりもできるだけ高い価格で政府がコメを買い入れ、消費者に対して安い価格で安定的に供給する仕組みだ。しかしながら日本人の食生活が豊かになり、米の消費量が減り始めた80年代ごろから「食管制度は農家を儲けさせているだけだ」「自民党の票田になっている」などと執拗に叩かれるようになった。

それを受け、政府は1995年に「食管制度の廃止」を決定。コメは自由市場に移行した。自由市場となった以上は、需給がひっ迫したら価格が上がるのは当たり前のこと。国民的な議論を経て廃止したのだから、政府やコメ農家、農協からしてみると「食管制度をやめろと言ったのはそちらのほうだろう」という感覚なのである。日本は社会主義の国ではなく自由主義の国。したがってコメの価格について政府を批判すること自体が根本的に間違っているともいえる。