1995年に福岡ダイエーホークスに入団。直後はなかなか思うような活躍が見せられてはいなかったが、本格派右腕のエース候補として王監督らから期待されており、2003年には20勝3敗の成績で「沢村賞」を獲得した。その投手は斉藤和巳。引退後は評論家を経て、福岡ソフトバンクホークスのコーチ陣に組閣された。

 1軍投手コーチを経て、2024 年シーズンから4軍監督へと配置転換された彼を“左遷”と揶揄する向きもあったが、斉藤和巳自身は当時の宣告をいかに受け止めていたのか。ここでは、スポーツライターの喜瀬雅則氏による『ソフトバンクホークス 4軍制プロジェクトの正体 新世代の育成法と組織づくり』(光文社新書)の一部を抜粋して紹介する。(全4回の1回目/続きを読む)

斉藤和巳

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 ダイエーの、そしてソフトバンクの絶対的エースとして一時代を築いた右腕を、私もかつて、担当記者として取材する機会が度々あった。その時の印象を正直にいえば、常にピリッとした空気をまとった、ちょっと近寄りがたい存在でもあった。

 うかつなこと聞くなよ。しょうもないこと、書くなよ。

 己の心に、よけいな波風を立てたくない。その緊張感が、常に斉藤からは伝わってきた。

「現役の時は、まず、自分がちゃんとしないと意味がなかった。今もそこは大きくは変わらないですけど、選手たち、コーチ、スタッフもいるしね」

 その斉藤が、2024年に2代目となる「4軍監督」という肩書を背負った。

「『4軍監督をやってくれ』って言われた時は、まさか、という思いはありましたよ。もちろん。即答はできなかったです。ちょっと時間をください、と言いました」

SNS上で「左遷」と騒がれた4軍監督への転身

 2013年7月の現役引退から10年ぶりとなる2023年、斉藤は1軍投手コーチとして、現場へ戻ってきた。しかし、その年のチームは3位に終わり、チーム防御率も3.27のパ・リーグ4位。クライマックスシリーズでもファーストステージで敗退すると、監督2年目の藤本博史は辞任。2軍監督だった小久保裕紀の1軍監督昇格が決まり、新体制へと切り替わっていく中での「配置転換」の要請だった。

小久保裕紀

「正直、4軍のイメージが湧かない。実態があるのは分かっているけど、全然イメージが湧いてこないんです」

 斉藤は、フロント首脳との話し合いの中で、正直な戸惑いを吐露した。