福岡ダイエーホークスにドラフト2位で入団するや、2年後にはレギュラーの座を確保。本塁打王を獲得するなど、華々しい活躍を見せ、ホークスの中心選手として長らく活躍した小久保裕紀。怪我にも悩まされた現役生活だったが、彼は当時をどのように振り返るのか。
ここでは、スポーツライターの喜瀬雅則氏が福岡ソフトバンクホークスの4軍運営の実態について迫った『ソフトバンクホークス 4軍制プロジェクトの正体 新世代の育成法と組織づくり』(光文社新書)の一部を抜粋。小久保裕紀の声を届ける。(全4回の2回目/続きを読む)
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誰よりも練習した小久保裕紀
サンケイスポーツのプロ野球記者として1994年の近鉄を担当して以来、私はここまで30年近くにわたってプロ野球の現場で取材をし続けている。
後輩記者や球団のスタッフたちと練習を見ていると、つい過去の思い出話になることがある。すると、よくこの手の質問が飛んでくる。
「今まで見てきた中で、一番練習していた選手って誰ですか?」
答えは一択、小久保裕紀。
私は間髪入れず、迷いなく、自信を持ってこう答える。
何しろこの人の練習ぶりは、大袈裟でも何でもなく、キャンプともなればそれこそ「朝から晩まで」だった。しかも、単にだらだらと長いのではなく、いつ、どのタイミングで練習のシーンを見ても、それこそ鬼の形相、手抜きなしの真剣そのものだった。
ソフトバンクの前身となるダイエー時代、2月の高知キャンプでの、とある「夜」の光景を、私は今でも忘れない。
当時は、選手宿舎に球団がプレスルームを設置してくれていた。そこで各社の番記者が原稿を執筆する。ホテルのフロント前のソファにでも座っていたら、選手が出かけたり、帰ってきたりするのも分かるし、コメントが必要なら、そのお目当ての選手を待っていればよかったので、実に便利だった。
原稿を書き終えて、そろそろ自分の投宿しているホテルへ帰ろうか。そんなことを思いながら、何の気なしに、誰かいないかなと、選手宿舎のロビーに下りてみた時だった。
もう、午後7時を過ぎていた。南国高知とはいえ、2月の日暮れは早い。ホテルの外はもう、すっかり夜のとばりが下りている。

