その移籍直後の2004年に自己最多の41本塁打を放ち、カムバック賞を受賞。選手生命すら危ぶまれた大怪我も乗り越え、41歳まで現役を続けた。
そうした一連の歴史を見てきた“一証人”としては、小久保の現役時代の回想に話が及ぶと、つい熱が入って、懐かしさも相まって、そこから突っ込んで話を広げてしまう。
「これ、4軍の本でしょ?」
話がそれていないかと、何度も心配?してくれたようだったが、こうした小久保の回顧録から抽出されたエキスが、走り出したばかりの「4軍制」には不可欠なものであることを証明するのが、いわば、この章のテーマだといっても過言ではない。
2003年の大怪我に「感謝している」
小久保は、プロ2年目の1995年、同4年目の1997年、そして2009年の計3シーズン、全試合出場を果たしている。
09年は38歳になるベテランが、144試合すべてに出るというのは、心身ともにコンディションが充実していた証明でもある。
「いつ球場に行っても、長嶋、王が見られるというのが、ジャイアンツ時代の古き良きものだと思います。今日、休養日だから残念やった、ってあるのはメジャーなんだと思います。
どちらかといえば、大谷翔平(現ロサンゼルス・ドジャース)はずっと出るタイプ。監督が休ませようと思っても出たいというタイプ。それは、その日しか見られない子供がいるからじゃないですか。
山川穂高なんて(2024年にシーズン143試合、CS3試合、日本シリーズ6試合)全部出たしね。あれはホント、4番として全試合に出るというのが、一番の『王イズム』だと思います。僕も城島(健司・CBO)もオープン戦からずっと出ていました。そりゃそうです。でも『今日、休養日にしていいぞ』って言われて、それはイズムに反すると思って出たら、膝の靭帯を切ったんです」
2003年3月6日。福岡ドーム(当時)でのオープン戦、その試合前のことだった。
「王監督が、何か珍しいことを言ったんですよ。『おー、今日、休んでいいぞ』みたいな。
こっちはいやいやいやー、と。会長、絶対忘れていますけど、今から考えたら、何かいやな予感したんとちゃうかな。
