でも僕、膝の靭帯を切ったお陰でジャイアンツにも行ったし、日本代表監督にもなったし、今の人生があるから、あの膝の怪我には感謝しているんですよ。あれがなかったら“裸の王様”で終わって、2000本安打も打ってないと思います。41歳まで現役ができたのも、あれがあったお陰です。あれから、トレーニング法とか食事とか、全部変わりましたからね」

 意外な告白だった。怪我以前でも、小久保の猛練習とそのストイックな空気感は、周囲を畏怖させるほどのものだった。

小久保裕紀

「その前も、たいがい、練習やってましたよね?」

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 そんな問いを、つい重ねてしまった。あの後から一体、何が変わったというのだろうか。

成績がドンと落ちるシーズンがなかったのは“怪我のお陰”

「だから、やり過ぎて壊れたんです。オーバーワークやったんです。あの怪我で、効率的なトレーニング方法だとか、一番自分にとって体のケアは何が必要かということを学んだんです。どの選手も、みんな右肩上がりから、だんだんこう、成績が落ちてくるじゃないですか? ゆっくり下がっていけば、だいたい2000本安打に到達するんですけど、右肩上がりだったのが、ドンと落ちる時があるんですよ。僕、そのドンと落ちるシーズンがなかったんです、35歳を過ぎてからも。それはあの31歳、32歳の時の怪我のお陰なんで、僕の中ではあれはすごく良かったんです。

 そもそも、野球選手の取り組みとして練習さえしとけばいい、という考えやったんで、夜はそのまま出かける、みたいなね。やりっ放しやったんです。それでは絶対に41歳まで現役はできていないです。ガタンと落ちるシーズンがあって、浮上できずに終わるんですよ」

 小久保は、目の前に伸ばした右手を、すーっと右下の方へ下ろしていった。

「こういう感じで終わっていくんです。だから、ギリギリ2000本安打に到達できるんです、30代後半に最後、みんなあがくんです。2000本打った人たちはみんなそうです。そこで頑張るというか、自分の体とうまく向き合うんです。僕の場合はたまたま、30ちょっとでそれに気づけたのが良かったなと、今から思ったら」