「あの怪我のお陰で、発想が変わりました」
アメリカでリハビリに専念。全休となった2003年は、小久保にとって31歳から32歳になる年。確かに、選手を評する枕詞が、中堅からベテランへと変わっていく時期でもある。
その03年を含めても、現役19年間で本塁打が1桁、あるいは0本だったのは計4シーズンだけ、100試合以上出場したのも14シーズンを数える。
それは、20代の頃にあれだけの猛練習をやっていたからこそ、あれだけ長く力を保てたんだと思って見ていたと、一記者としての意見をあえて返してみた。
「逆ですね。あの怪我のお陰で、発想が変わりました」
そう言って、また不思議そうにこちらを見た。
「全然、4軍の話と関係ないけど?」
いやいや、この貴重な述懐こそ、育成の観点からすれば“関係大の内容”だろう。
自分で自分を知り、その“自分の枠”をさらに広げていくために、また自分で考え、自分で動く。その「主体性」を持てなければ、この「4軍制」という新たな育成システムでは、己の力を伸ばすことができない。そういう仕組みになっていることは、ここまで読んでこられた読者の方々には、ご理解いただけていると思う。
小久保裕紀というプロ野球選手は、その「主体性」を持ち、年齢という“限界値の指標”も、自分の力で後ろに追いやり、最後まで力強く現役生活を全うした一人である。
若き選手たちが見習うべき、最高の「モデル」が、ここにある。