やりがいを見出せるのかという「逡巡」

 発足2年目の4軍は、走りながら体制を築き、磨きをかけていく真っ只中であり、それこそ発展途上の組織でもある。選手のほとんどが背番号3桁、2024年2月のキャンプイン時の育成選手の平均年齢は22.0歳、10代も9人いて、30代は1人もいない。未完成ともいえる若き選手たちに対し、自分に一体、何ができるのか。他球団の前例がなく、自らの現役時代にもなかった「4軍」という新たな組織を実態として捉えられず、やるべきことがすぐには見出せなかったという斉藤の思いは、ポストを断る口実ではなく、新たなるチャレンジに踏み切るべきか、やりがいを見出せるのかという「逡巡」でもあった。

 その迷いを振り切る“きっかけ”があった。

「イメージが湧いて悩んでいるんやったら、やめた方がええ。でも逆に、イメージが湧いてないっていうんやったら、やってみたらどうや」

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 現役時代の斉藤とも一緒にプレーした2歳年上の編成育成本部長・永井智浩から、GMの三笠杉彦らフロント首脳も交えたミーティングの場で、斉藤はそう問い掛けられた。

「確かに、と思わされたんです」

 斉藤の心に、永井の言葉が刺さった。

「1軍のコーチを1年やらせてもらった。現場に戻る前も、野球教室で子供たちに『チャレンジしよう』『トライしよう』と言っていた。なのに、ここで引いたら、自分の生き方を覆してしまう、と思ったんです。球団のため、選手のためという前に、きれいごとではなく、まず自分のためにトライしようと」

斉藤和巳

 そうした決意のプロセスも、その胸の内も知ってか知らずか、周囲が無責任にあれやこれやと憶測を繰り広げるのも、斉藤和巳という野球人の存在感の大きさゆえだ。沢村賞2回、つまり、日本の頂点を極めた大投手が、4軍制という、ヒエラルキーでいえば、トップから“最下層”へと持ち場が移るのだ。

 ふと、ネットニュースを見ると、「左遷」という衝撃的なフレーズが、斉藤の目にも飛び込んできた。

「去年(2023年)、ああいう負け方をしたんで4軍に行かされたと。それで『左遷』と言われたんでしょうね。そう言われても当然の流れではあるので。あの結果を踏まえて、たかだか1年でこうなって、そう思われてもしょうがないなと。でも僕は、『死ぬまで成長や』と思っていますから」