現在進行形の世界の“火薬庫”といえば、ウクライナと、イスラエルを中心とする中東だが、日本の報道では中東はウクライナの陰に隠れがちだ。これは中東がわれわれの日常生活に必要不可欠な石油の最大供給地域にもかかわらず、欧米に比べ馴染みが薄い地域なのが最大の理由だろう。
だが、中東地域の紛争を長く取材してきた私個人としては、もう1つ理由があると考えている。それは国、武装組織などプレイヤーが多過ぎるうえに、各プレイヤーの権謀術数が複雑に絡み合うからだ。実際、私自身もこの地域の情勢を一定程度理解できるようになるまで苦労した経験がある。
その点で本書は、新書ながら、中東紛争の現在のトレンドとその起源まで、奥行きの深い情報で網羅した稀にみる概論書と言える。
著者は国際テロ、国際インテリジェンスに関する著書を多数有し、テレビコメンテーターでも知られる軍事ジャーナリスト・黒井文太郎氏。若き頃は世界各地の紛争地に直接足を運んで取材を重ねた御仁である。
本書で著者は中東紛争の主因として「宗教」「イスラエルの建国」「独裁者たちの蛮行」「イランの対外工作」の4つをあげるが、中でも紙数を割くのはイスラエルとイランである。現時点の中東紛争がイスラエルとガザ地区のハマス、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派といった武装勢力との戦いであり、これら武装勢力のスポンサーがイランであることを考えれば必然と言える。とくにヒズボラの創設から現在までのイランによる組織構築や軍備・戦略戦術の提供という関与の過程が詳述されている。
多少の事情通は、このうちハマスとイランの関係を“異質”と感じるかもしれない。イスラム教内では従来から多数派のスンニ派と少数派のシーア派との宗派対立があり、ハマスは前者、イランは後者の信徒が多数だからだ(ちなみにヒズボラとフーシ派はシーア派組織である)。
ハマスとイランはなぜ結託しているのか。この謎について本書は、イスラエルによるハマス構成員のレバノン追放を契機にヒズボラとの接点が生まれ、スンニ派が多数を占める中東湾岸諸国からハマスへの支援の減少をイランが巧みに利用してハマスに接近した、と解説する。情勢変化に応じた「呉越同舟」の成立であり、「敵の敵は味方」「敵の味方の敵は味方」と、この地域では野合が起こることを著者は指摘している。
その意味で私個人が中東紛争を読み解く上で要注意なファクターをさらに付け加えるならば、日本などと比べものにならない「建前」。中東で現地人がメディアに向けて語る言説は、ウソと紙一重の建前である。それを少しでも看破したいならば、膨大な公開情報を収集して各勢力の「本音」を読み解いた本書は必須とも言える。
くろいぶんたろう/1963年、福島県生まれ。軍事ジャーナリスト。専門は各国情報機関の動向、国際テロ、中東・北朝鮮情勢。著書に『イスラムのテロリスト』『プーチンの正体』『工作・謀略の国際政治』他多数。
むらかみかずみ/1969年、宮城県生まれ。ジャーナリスト。医療、災害・防災、国際紛争を取材。近著に『二人に一人がガンになる』。
