「古河市でのタイトル戦はこれが初めてなんです。地元で名人戦が開催されて、感慨深い思いでいっぱいです。誘致してくださった関係者にお礼を申し上げます。私は地元の教室で将棋を教わりました。その教室がなければ女流棋士にはなっていなかったでしょう」
その「総和将棋クラブ」を主催する小野秀美さんが控室におられたので話をうかがうと、「宮宗さんは子どもの頃、教室に来てどんどんと強くなってねえ。地元でタイトル戦とは嬉しいですね」と喜んでいた。
古河市は、市を挙げて名人戦を応援してくれていた。のぼりを作り、サテライト会場まで用意した。地元に工場があるヤマザキビスケットやヤクルトから、たくさんのお菓子や飲み物が提供された。夜遅くまで戦いが続いたので、この差し入れはとてもありがたかった。
藤井と永瀬の歴史は「炎の七番勝負」から。
ところで藤井と永瀬の最初の出会いは2017年1月、「藤井聡太四段 炎の七番勝負」(AbemaTV企画・配信)での対戦だった。そして宮宗は、そのときに読み上げを務めていた。
「藤井さんはまだ中学2年生であどけなさが残っていて、受け答えもたどたどしかったです。ですが、どこかしっかりしたところを感じました。永瀬さんは藤井さんの強さを知っていたようで、強い相手と戦えて嬉しい、だけど絶対負けないぞ、という気迫を感じました。永瀬さんがゴキゲン中飛車を採用して、とても良い将棋を指して勝ったことは覚えています。その2人が私の地元で名人戦を戦うなんて、夢みたいです」
宮宗はそう当時を振り返った。
その後、永瀬は藤井に練習将棋を申し込み、同年のゴールデンウイークから2人はVS(1対1の研究会)を始め、今日に至る。藤井と永瀬の歴史は「炎の七番勝負」から始まり、その場所に宮宗がいた。そしてその8年後に宮宗の地元で初の名人戦が行われ、宮宗が現地解説会の聞き手に。将棋界にはドラマのような出来事がいつも起こる。




