編集という点では、小津安二郎の映画から大きな影響を受けました
――この映画では、前半は、ドニヤの暮らすアパートやフォーチュンクッキー工場のような室内の風景しか映らず、どこか閉塞感のあるイメージだったのが、後半になり、とても開放的なムードへと変わってきます。そして素晴らしいラストシーンに至るわけですが、前半と後半の大きな変化は、ドニヤ自身の心情の変化と重なり合うものとしてつくっていったのでしょうか?
ババク・ジャラリ おっしゃるとおりです。前半の閉塞感は、ドニヤがいつも満たされない願いや欲求を抱えて生きていることからきています。やがて彼女は車に乗り、外へと飛び出していく。ここから、映画のムードは大きく変わってきますよね。
いろんなことを考えすぎるあまり行動に移せなくなるのはよくある話ですが、ドニヤはまさにその状態に陥っていた。頭の中で、自分の人生にはどんなことが起きるのか、様々な可能性を模索しているけれど、実際には何も行動できずに毎日同じことを繰り返している。でも最終的に彼女は一歩を踏み出していきます。現実的に考えれば彼女の行動はちょっとクレイジーだと言えるかもしれないけど、とにかく一歩を踏み出したんです。
――ドニヤは一歩を踏み出したことで、ある男性と不思議な出会いを果たすことになります。つまりこれはラブストーリーなのでしょうか?
ババク・ジャラリ そこはオープンに見せているつもりです。最後のシーンの後、ドニヤがどういう行動に出るのか。あらゆる可能性がそこには残されています。人生の多くのことはそうですし、恋愛だって何が起こるのかは誰にもわからない。ドニヤにとっては、この小さな変化が起きたことこそが重要であり、今はそれで十分だと私は考えています。
――この映画には独特のテンポがあります。特に会話場面では一定のリズムで会話が応酬され、不思議なユーモアが醸し出されます。今回、編集作業は監督自身が行ったそうですが、この独特のリズムは、編集によって作り出された面が大きいのではないでしょうか?
ババク・ジャラリ カロリーナと脚本を書いているときから、この映画をメランコリーとユーモアを掛け合わせたものにしようと話していたし、そのときから自分で編集をすることも決めていました。ただ、監督が自ら編集をするというのは、本来危険を伴う行為ではあるんです。自分が撮ったと思うとどうしても思い入れが強くなるけれど、ひとつのカットを長くしすぎてしまうと観客が飽きてしまう。逆にあまりに早すぎるとそれぞれのシーンのインパクトが薄れてしまう。ひとつのカットをどの程度の長さにすべきか、的確なペースを見極めるのは本当に難しいんです。
一番大変だったのは、ドニヤが精神科医のカウンセリングを受けるシーンでした。ふたりは親しい間柄ではなく、会話の行方をお互いにうかがっている。だから相手の返答を待つ間(ま)がそれぞれの発言の後に入るんですが、その間をどの程度残すのがいいか、ちょうどいい間合いを見極めるのに、本当に苦労しました。
私のリズムがどのようなものであるかは作品を見ていただけたらと思いますが、編集という点では、小津安二郎の映画から大きな影響を受けました。17歳の時、ロンドンで『東京物語』を初めて見た衝撃は忘れられません。それまで見ていた欧米の映画とは全く違うリズムを持っていた。観客を信頼し、自分の間合いを信じる勇気と大胆さを小津から学んだんです。
Babak Jalali/1978年、イランで生まれ、子供の頃にイギリスに移住。ロンドンで映画作りを学んだ後、初長編『Frontier Blues』(09)を発表。『Radio Dreams』(16)に続く長編3作目『Land』(18)はベルリン国際映画祭でプレミア上映された。





