シンプルで静謐な空間に、白を基調としたオブジェが点在している。一つひとつと向き合っていると、そのモノが「想像してごらん」と、こちらに語りかけてくるかのよう。

 観る側の視界と脳内をすっきりクリアにしてくれる展覧会が、東京の小山登美夫ギャラリーで開催中だ。六本木と天王洲ふたつのスペースでの、オノ・ヨーコ展「A statue was here 一つの像がここにあった」。

小山登美夫ギャラリー天王洲会場風景 Installation view from “A statue was here” at Tomio Koyama Gallery Tennoz, Tokyo, Japan, 2025 ©Yoko Ono photo by Kenji Takahashi

アートを介してジョン・レノンと出会う

 オノ・ヨーコの名は、まずもってジョン・レノンのパートナーとして知られる。だがジョンと行動をともにするずっと以前から、彼女はアートの世界で独自のキャリアを歩み、突出した存在感を示していた。

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 戦前の東京に生まれたヨーコは、1950年代に家族でニューヨークへ移る。当地の大学在学中には早くも、《シークレット・ピース(ひみつの曲)》をつくった。夏の早朝に鳥の声を伴奏にして、任意の音をひたすら演奏しなさい、と指示する言葉のみでできた作品で、これは「インストラクション」と呼ばれる手法である。

 その後もヨーコはパフォーマンスや、空間を丸ごと作品にするインスタレーションなど、さまざまなかたちで発表を重ねていく。1964年に初出の《カット・ピース》は、その場に座り動かぬヨーコの着衣を、来場者がすこしずつハサミで切り取っていくという大胆なもの。瞑想的でありながら、人の内側に潜む暴力性を露わにする作品だ。

小山登美夫ギャラリー六本木会場風景 Installation view from “A statue was here” at Tomio Koyama Gallery Roppongi, Tokyo, Japan, 2025 ©Yoko Ono photo by Kenji Takahashi

 ジョン・レノンとの出会いも、アートを通してのことだった。ヨーコが個展を準備していたロンドンのギャラリーに、ジョンがふらり立ち寄って、《天井の絵(イエス・ペインティング)》や《釘を打つための絵》に強い感銘を受けたのである。急接近したふたりは、ともに音楽活動やパフォーマンスに注力していくこととなる。

 最愛のジョン・レノンを1980年に亡くしたヨーコは、しばし沈黙するも、心の傷が癒えはじめた1980年代終盤にアートの世界へ舞い戻る。2000年代には大規模な回顧展を世界巡回させたりと、精力的な活動が現在に至るまで続いている。

 草間彌生や村上隆に先んじて、現代アートの世界で最も高い評価を受けてきた日本出身アーティストは、オノ・ヨーコその人である。