一方容姫は、日本公演の合間に在日同胞と気軽に写真に収まっていた。いや、日本で朝鮮学校や、地元の総聯支部の人たちと交流することは彼女たちの任務の一部で、ほとんど息抜きの時間はなかった。公演会場や交流の場に行くため朝鮮総聯が何台かのバスを手配していたが、容姫が乗るバスでは金日成ではなく、金正日をたたえる歌を団員たちが歌っていた。最高指導者の息子の妻になる人がいることを、周囲が察知していたらしかった。
今回の取材を通して、複数の記念写真を目にした。お弁当を食べる姿、立食パーティーで笑顔をたたえている様子、東京・小平の朝鮮大学校での記念写真もあった。容姫は心の中では自分の出自を明かし、知人や友人と久しぶりの再会を果たしたかったはずだが、そのとたん、自分の地位が失われることも知っていたに違いない。
金正日の固定パートナーに
その年の9月まで続いた日本公演で、舞踊「祖国のつつじ」、「牧童と乙女」で主演を務めた。公演に同行した人によれば、容姫は自分からは決して話しかけず、目立たないようにしていた。誰かが近づくと同じ団員の女性が割り込み、「私が説明します」と、本人に話をさせなかった。ボディガード役のようだったという。
万寿台芸術団の代表作は「祖国のつつじ」だ。北朝鮮の4大革命舞踊の一つとされる。
日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代の1939年、金日成が中朝国境に面した咸鏡北道茂山に入り、同行していた抗日遊撃隊の女性隊員たちが祖国の地を踏んで感激する姿を描いている。
北朝鮮が誇る白頭山や三池淵といった風景を背景に、軍服を着た女性たちが集団劇を展開するもので、この主人公が柳日淑(高容姫)だった。彼女は練習熱心で、公演の合間にひとりで練習していた。また、演目のクライマックスには必ず涙を流した。それは演技のひとつなのか、それとも生まれ育った日本で踊ることが胸に迫ったのだろうか。
当時の朝鮮新報を繰ると、1カ所だけ柳へのインタビュー記事が出ていた。日本公演の内容を掘り下げた長文連載記事の3回目だった。
