今回の日本公演を成功させるために金日成が踊り子たちに、公演で使う新しい長靴を準備し、自ら踊り子たちに履かせたと紹介した上で、柳の言葉を引用している。
この祖国のつつじの主人公を任されながら、なかなかうまくできませんでした。そのため首領様のご指示に従い、由緒深いこの舞踊の舞台である保養地三池淵に行って、水を飲み、土を手にしてみました。ここで首領様が教えてくださった女性の解放歌謡に合わせて踊ってみたところ、まさに朝鮮革命軍の女戦士になったようでした。
一行は日本での日程を終え、9月17日に東京の上野を出発、新潟に停泊していた北朝鮮の船、万景峰号で帰国した。当時の様子を伝える朝鮮新報によれば在日同胞や日本人など7000人が帰国を惜しみ、歓声とともに見送った。船の周辺には至る所に「金日成元帥万歳」と書かれた横断幕が張られていた。
日本公演を終えた万寿台芸術団は、「親愛なる指導者同志(金正日のこと)公演室」を設置した。この公演室は、いわゆる「喜び組(キップムジョ)」と呼ばれるグループの原型ともいえるものだったという。
「喜び組」の成り立ちや、内容についてはさまざまな証言や報道がある。前出の「月刊中央」の記事によれば、喜び組は芸術団の一部女性団員を公演組、喜劇組、合奏組の3組に分けて構成されていた。
容姫が所属する公演組は金正日の秘密パーティーで、政府高官である参加者たちと一緒に踊り、側近たちの隣に座って酒の相手をした。彼女は1975年から、金正日の隣に座る固定パートナーとなり、翌76年から同居を始め、77年にはパーティーに出なくなったと書かれている。
北朝鮮の元外交官で、韓国で活動する高英煥は、韓国のテレビ番組で、「高容姫は、万寿台芸術団の、『雪が降る』という演劇に出演し、それを見た金正日が彼女に惹かれ、妻にした」と語っている。容姫はその後行方不明となり、芸術団内で大騒ぎとなったが、労働党の組織指導部から電話があり「高容姫はもう存在しない、探してはならない」という指示があったという。(「いま、会いに行きます」567回 チャンネルA 2022年10月31日)
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。
