料理人の見た「若い日の原節子」

 高容姫を身近に見ていた日本人は、1人しかいない。金正日の料理人として知られる藤本健二だ。藤本は複数の著書を残しており、その中で何回も彼女について触れている。北朝鮮からの視線を意識してか、描写は遠慮がちだ。あらためて関連する部分を通して読むと、彼女の人間像が浮かんでくる。

 まず容姫は1973年に舞踊公演のため日本に来ている。この時の写真を見ると、細面で穏やかな笑顔をたたえている。藤本は自分の著書『核と女を愛した将軍様』で彼女の写真を公開した。1995年撮影としており、顔はふくよかになっており、同一人物とは思えないほどの違いがある。

 藤本は、別の著書『金正日の料理人』の中で、容姫を「優しく、美しい人だった」と表現している。金正日は、よく日本映画を見たあとで、「日本で一番きれいな女優は吉永小百合だ」と言っていた。お気に入りの女優だった。容姫のふっくらした顔つきは確かに吉永小百合によく似ていた。

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 藤本は容姫を「若い日の原節子」とも表現している。原節子と言っても、顔がすぐに浮かぶ人は少ないかもしれないが、往年の人気映画女優だ。目鼻がすっきり通った顔つきと思えば間違いない。

 ある時、容姫が藤本に金正日と恋愛中の出来事を話したことがある。金正日のベンツでドライブに出かけた2人は、車の中で韓国の流行歌を夜が明けるまで聞き続けた。そして、容姫はその思い出の歌を藤本たちの前で歌ってくれた。その歌は「その時、その人(クッテ クサラム)」で、今でも韓国で歌われている。リズムのいいロマンチックな歌だ。この頃から韓国の歌は、北朝鮮人の心を掴んでいたようだ。

 容姫は、ふだんは平壌の秘密別荘に住んでいたが、金正日が各地を移動する時は、必ずお伴をしていた。このことは、後に容姫を主人公とした記録映画が公開されて確認された。

 彼女が在日コリアンの帰国者で、万寿台芸術団の元踊り子であることは皆知っていたという。部下たちは皆、「オモニ(お母さん)」と呼んで慕っていた。