『進化という迷宮 隠れた「調律者」を追え』(千葉聡 著)講談社現代新書

 古生物学者スティーブン・ジェイ・グールドの『ワンダフル・ライフ』を読んだのは、私が理学部に籍を置く大学生のときだ。

 アノマロカリスやオパビニアなど、カンブリア紀の奇妙奇天烈な動物群を一躍有名にした世界的ベストセラーである。“グールド節”で語られる進化の謎に魅せられないわけがなく、私は夢中でページをめくった。

 進化の大きな流れを支配しているのは、自然選択よりも偶発性。進化のテープを巻き戻し、また再生しても、同じことは二度と起こらない。人類の繁栄も、必然ではなく偶然が重なった奇跡。なるほど、断続平衡説か。私はすっかりグールド先生に納得させられた。

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 その後私は地球物理学の道へ進んだが、進化の世界に対する興味が薄れることはなかった。そして出会ったのが、進化生物学者リチャード・ドーキンスの一連の著作である。

 ドーキンス先生の、厳しくも温かい父親のような語り口と、「生物は遺伝子の乗り物に過ぎない」「神は妄想である」と言い切るブレない主張に、私はすっかりファンになった。

 そのドーキンスは、バリバリの適応主義者である。つまり、生物の形質や行動のほとんどは自然選択による適応の結果だとする立場なので、当然、グールドとは考えが相容れない。実際、両先生の間で論争になっていると知ったが、どちらに分があるか私に評価できるわけもない。論争に関する本も読んでみたものの、明快な答えは見つからないままであった。

 そこへ颯爽と現れたのが、(私にとっての)第3の男、千葉聡先生である。本書『進化という迷宮』を読み終えたとき、私の中のモヤモヤは完全に霧散していた。今や私の視界はすっきりと明るく、かつ「センス・オブ・ワンダー」で満たされている。

 こんな幸せな心境をもたらしてくれたのは、多種多様なカタツムリたちだ。小笠原諸島などのカタツムリの進化を丹念に追ってきた千葉先生の足跡を、一読者である私も極めて再現性高くたどることができた。

 説得力のある証拠を積み重ねた上で見えてくるのは、グールド的「偶然」とドーキンス的「必然」の間をつなぎ、進化の流れを調律する「調律者」の正体である。優れたミステリー小説のような面白さにあふれた本書を通じて、皆さんもぜひその正体を確かめていただきたい。

「私たちはエルフのように長生きできない」という千葉先生の言葉に込められたある種の哀しみは、研究者時代、地球史を読み解こうと奮闘していた私にもよくわかる。遠い過去や未来の世界がひと目でも見られたら。長い時間スケールの研究をしている者なら、誰しも願うことだろう。

 それでも彼らは、100年にも満たない人生を研究に捧げ、知のバトンを次の世代へつなぐのだ。知的興奮だけでなく、そんな研究者たちの生き様にも感動させられる、得難い一冊である。

ちばさとし/1960年生まれ。東北大学東北アジア研究センター教授、東北大学大学院生命科学研究科教授。専門は進化生物学と生態学。2017年『歌うカタツムリ──進化とらせんの物語』で毎日出版文化賞・自然科学部門を受賞。
 

いよはらしん/1972年、大阪府生まれ。2019年『月まで三キロ』で新田次郎文学賞等、25年『藍を継ぐ海』で直木賞を受賞。