これまで何人もの名投手を生み出してきた球団、広島東洋カープ。その中には、長い歴史の中で「たった一人」しか達成していない大記録を持つ投手が存在する。その選手の名は、外木場義郎。一体どんな記録を持っているのか。『カープ不朽のエース物語』(迫 勝則著、南々社)から一部抜粋し、お届けする。(全3回の3回目/最初から読む)
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そのいきさつがどうであれ、あのとき口にした「もう1回」のときがやってきた。それは、68年9月14日の大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)戦だった。この試合は、少し前までの雨天の影響でグラウンドが軟弱だった。また降雨の心配もあったので観客の入りも悪く、わずか4000人。外木場はこう語る。
「雨上がりで湿気があるからボールに指がよくかかる。捕手の田中尊さんの構えたところに球がバンバンと行くので、打たれる気がしなかった」
どこか消化試合のようになりかけていた試合が、徐々に雰囲気を変えはじめた。相手ベンチの別当薫監督の言葉である。
「早い回から気配を感じた。選手には“楽にいけ”と声をかけたのだが……」
まともにバットにボールを当てたのは、当時のホエールズの主砲・松原誠の左翼へのハーフライナーだけだったかもしれない。8回が終わってパーフェクトピッチの13奪三振。周囲の重苦しい空気を吹き払うように、9回の外木場は「3人とも三振に獲る」と予告して、マウンドに上がった。そしてその言葉どおり、3者連続三振。彼はこう語る。
「3人とも真ん中から上の球に全部空振り三振。緊張して守っている人たちに迷惑をかけないよう、あそこに力いっぱい投げ込めば、まず打たれないと思って……」
