成績表は全部甲。兄妹の中でもいちばん優秀だった
田中家の周辺でも、つい最近までは、学校の校庭で人文字を作って旗を振ったという方、家の屋根に登って飛行機に手を振ったという方が存命で、地域の人たちの記憶にも深く残っていたようだった。栄一さんが遺したアルバムにも、その時に撮られたと思われる写真が3枚、貼り付けられていた。
校庭に「祝」という人文字を描く国民学校の生徒たち。屋根の上で旗を振る子どもたち。田んぼの真ん中で空を見上げる、田中家と思われる人びと。
だが写真を注意深く見てみると、若干の違和感もあった。屋根の上の子どもたちの視線の方向と空中の飛行機の位置とが一致しないのがひとつ。田んぼの中に立つ一家の目線がバラバラの方向を見ているのがもうひとつ。どのような経緯で撮影された写真なのだろうか。
道夫さんの父・栄一さんは、94歳で健在ではあるものの、生活に支障がでてきたため施設に入っているという。「だいぶ痴ほうが進んでいるので、どこまで話ができるか……」とのことだったが、2025年4月下旬、施設の面会室で道夫さん夫妻と娘さんに立ち会いいただき、話を聞くことができた。栄一さんは了一さんの遺品を見ながら、家族が驚くほどのはっきりした口調で、記憶をたどって聞かせてくれた。
「ともかく優秀だったからね、了ちゃんというのは。9人兄妹のうち、一番優秀だったね。1学期から3学期まで、成績表は全部甲(※注 当時は甲・乙・丙・丁という評価)だったからね。私なんか甲なんか、めっけるほどしかなかったけど、了ちゃんは全部甲だったからね」
「人文字の『祝(いわい)』、飛行機が上空を飛んでいるうちに『田中』という字に変わるんだよ。小学校でずいぶん練習して、教頭先生が教えてくれてね。1年から4年は周りで人垣を作って、5年6年で文字を作って。私は当時小学校6年で、鼻が高かったですよ。ただ、軍はこれを宣伝して、もっと飛行機乗りにさせようとしたんだけど、自分はそうは思わなかったね。私なんかには到底できるもんじゃないと思っていたからね」





