『スーパーマリオRPG』で3Dを実験していた
『スーパーマリオ64』について特筆すべきは、その面白さだ。
過去の『マリオ』作品から多くの要素を引き継ぎつつ、そこに『スーパーマリオブラザーズ3』や『星のカービィ 夢の泉の物語』のような空中移動のチャレンジも加えられている。
しかし、このゲームの面白さの大部分は、視点の切り替えが可能になったことに起因する。これにより、新しい世界の見方が提供されているのだ。
ジェフ・ライアンは『ニンテンドー・イン・アメリカ 世界を制した驚異の創造力』(2011)のなかで、宮本は『スーパーマリオRPG』(任天堂 1996)で3Dを実験したと指摘している。
しかし『スーパーマリオRPG』ではクォータービュー〔3Dのオブジェクトを2D平面の斜め上から見下ろす視点〕方式が採用されていた一方で、N64では、カメラアングルが自由に切り換えられる想定となっていた(その想定は、コントローラーを新しくデザインすることによって実現された)。
宮本は、新しいハードウェアによって新たなゲーム体験を生み出す可能性が広がったときに、ふたたびゲーム開発に戻るとも語っている(“Nintendo Power Source”2000)。
その発言に沿うように、宮本は新しい技術によって新しいゲームづくりの選択肢が生まれてくるまで、『スターフォックス』(任天堂 1993)の新作に取り組もうとしなかった。
「ゲームというより、ハイラルという箱庭をつくっている」
ちなみに、宮本が新しいゲームづくりを完全なものにするために3D空間を求めるようになったのは、『スターフォックス』がきっかけだった。
そして『スターフォックス』に取り組んでいたときに、宮本はマリオの3Dゲームという着想を得たのだった。
「僕はずっと、ミニチュア鉄道がやっているように、世界全体をミニチュアで再現するゲームをつくりたいと思っていたんです」(“The Game Guys” 1996, 24)。
興味深いことに、この「ミニチュア」というアイデアは、この時期の宮本のデザインに対する考え方に浸透している。
3年後、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』について触れながら、宮本は「ゲームをつくるというよりは、ハイラルという箱庭をつくっている感じです」と語っている。(“Interview: Nintendo Online Magazine” vol.3 1998年11月号)。
マリオの話に戻ると、宮本は『スーパーマリオ64』を完成させろと非常に大きなプレッシャーを受けていた。しかし、まだ何かが足りないと感じ続けていた宮本は、発売を1995年から1996年に延期した。
