“江戸時代の町並み”が残されたワケ
近代の象徴たる鉄道、信越本線が千曲川の対岸を走って松代を通らなかった。さらに長野県の県庁は現在の長野市、善光寺町に置かれたのだ。
歴史的には松代の方が行政の中心としてふさわしいことは言うまでもない。ただ、明治初期に松代騒動という一揆もあったし、何より北国街道のメインルートが通っていた善光寺町のほうが、善光寺の門前町として活気づいていたようだ。
善光寺町は北陸や越後の大名が参勤交代の折に立ち寄り、さらに佐渡の金山から金を運ぶルートの途上にもあたる。そうした事情がゆえ、都市としての規模では松代は後塵を拝したのだろう。
結果として鉄道が通らず、県庁も置かれなかった松代の町。ただ、それがゆえに近代都市としては発展せず、その代わりに昔ながらの城下町の風情が残された。
そして、そういう風土だからこそ、風格や品位が保たれ、秘密保持にも期待できる――。そんな考えが、松代に大本営を移そうという理由のひとつでもあったようだ。
“江戸の面影”と“戦争の記憶”を刻むまち
外の暑さとは裏腹の冷たさを持った空気の中、象山地下壕を歩き進む。入ったときにはひとりだけだったからわからなかったが、どうやら結構な数の観光客が地下道の中を歩いているようだ。
向こうから、何人もの観光客がやってきてすれ違う。クルマも通れるほどの幅の坑道だから、すれ違いも造作ない。
彼らはこの松代大本営象山地下壕だけでなく、真田宝物館や真田邸、松代城など真田氏関係の観光スポットにも訪れたのだろう。
ただ、他のよく知られた観光地と比べれば、かなり観光客は少ないといっていい。町中を歩いていて見かけた外国人は数人ばかりだ。
交通の便の悪さ故なのか、それともまだ単に“見つかっていない”ということなのか。いずれにしても、江戸の面影と戦争の記憶を刻んだ、静けさの勝つ信州の小さな町であった。
写真=鼠入昌史
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