『スター・ウォーズ』の巨大な宇宙船に打ちのめされる
和哉 フィルモグラフィ的には次は『くまちゃんの大冒険』(1976)というアニメを作っている。これはほとんど兄貴が作ったんじゃない?
千昭 いや、あなたが主体だと思ってた。
和哉 そうかな? このクマちゃんのアニメを作ったのが76年だから、僕が中2で、兄貴が中3。
千昭 その辺で仲が悪くなり始める。
和哉 合作はそれが最後だね。まあ、それぞれ学校の友だちと別々に作り始めたからだけど。中学から別の学校だったし。
千昭 そう。私が成城学園で、この人は成蹊だったので。
和哉 兄貴は高1で『地球からの帰還』(1977)というSF映画を撮っている。これは宇宙船がどこかの惑星に不時着するみたいな話じゃなかったかな?
千昭 話は忘れちゃったんだけど、撮ったのは砧緑地で、宇宙船のミニアチュアを友達に作ってもらったんだ。それは『スター・ウォーズ』(1977)の影響でね。
和哉 これは77年だから、『スター・ウォーズ』日本公開の前だね。
千昭 でも、『スター・ウォーズ』の映像は1年前からさんざんテレビで流されていた。
和哉 ああ、そうか。
千昭 だから、あの巨大な宇宙船が延々と映し出されるカットは知ってるわけ。
和哉 『Single8』(2023)で僕は『スター・ウォーズ』に感化された高校生が映画を作るという話を作ったんだけど、まさに小中兄弟がそうだった。あのカットに打ちのめされて、あれを撮りたいと。
千昭 打ちのめされたかどうか。これが世の理(ことわり)なんだって思い込んだんだよ。
和哉 それまでもウルトラホークとかマイティ号とか見てすごいと思ってたけど、あんなに巨大な宇宙船を実感できたのは初めてだった。
【この後、兄が作った自主映画や、オリジナルビデオでホラー映画の脚本を書き始めた頃のこと、兄弟で関わった平成ウルトラマンシリーズのことなど、話は続きましたが、今回はここまで。続きは書籍版に掲載させていただきます。ここから先は、小中兄弟の会社・Bear Brothersのプロデューサーでもある妻・明子が聞き手になって、僕が作った自主映画の話を続けます。】
注釈
1)アニメと特撮 8ミリ映画の専門誌「l小型映画」の別冊「High Technic Series 5」として1970年に発売された。

