近江の集めた遺品が海上自衛隊の施設に
布留川家を訪問後、千葉県を訪ね終え、埼玉を回っている途中で、次は群馬行きを予定しているという。近江の目的とはいったい何だったのか、これまでさまざまな推論がなされてきた。中には、「近江は、旧海軍関係者の密命を帯び、特攻隊員の遺書を回収するために遺族のもとを巡っていたのではないか。隊員の自発性が感じられるなど特攻を美化できる遺書は利用し、軍の批判につながる都合の悪い遺書は封印しようとしていたのではないか」という説まであった。
実は近江が集めたこれら遺品が、巡り巡って納められたのが、広島県江田島にある海上自衛隊の「教育参考館」だった。私がこれら遺品の閲覧を初めて許されたのは、2023年5月のこと。「誰が何のために集めたのか」、「その結果、どのような品が残されたのか」が分かれば、「そこから何を読み取れるのか」も見えてくるのではないか。これらの遺品に、虚心坦懐、目を通してみたいと考え海上自衛隊に申請したところ、2週間の閲覧が可能となった。
遺品の大部分は、都道府県別にまとめられたファイルの中に、ひとりひとり番号を割り振られて綴じ込まれていた。ファイルは、厚手のスケッチブックを利用して作られている。
例えば、原田嘉太男さんの本籍地のある「鳥取県」のファイルを見てみる。表紙の裏には、近江一郎が遺族を巡る際に「印籠」のように遺族に見せたと思われる紙片が貼られている。
近江一郎氏は別紙紹介状の通りの御趣旨で縣内各地を御旅行中です。
御遺族を御訪問された際は何卒御便宜、御供與方、特に御願い致します。
この紙を近江に与えたのは、「鳥取県民生部世話課第二復員科長」で、印も押されている。そして次のページには、近江が回った鳥取県内の隊員の名が、番号を振られて、一覧になっている。鳥取は人口が少なかったため隊員は比較的少なく、総勢17名。そのうち11番が、原田嘉太男さんだった。
原田さんの箇所までめくっていく。すると最初のページには、戦死者についての情報が書かれた用紙が貼られている。便宜上この紙を「隊員記録」と呼ぶことにする。書かれている内容は、以下の通りだ。



