「もう一つですね」「コクがないんですね」
――苦しんだ、と言うと?
坂本 成田さんに活弁のセリフを言ってもらって、「どうでしょうか?」って訊かれても「もう一つですね」なんて。そうしたら「もう一つっていうのはよくわかんないんですけど、具体的に言ってもらえないですか?」って言うから、「具体的に言うとピンと来ない。もっと具体的に言うとね、コクがないんですね」「コクっていうのは何でしょう?」「うーん、『これが活弁だ』というような風味ですかねえ」……って、コクとか風味とかカレー評論家みたいになってきちゃってね(笑)。
でも蓋を開けてみたら、成田さんはよくやってくれてましたね。地のセンスがよかったんですよ。私がしゃべっているのを歌みたいに覚えてくれましたから。だからまあ、結果的には一応お役目は果たせましたけどね。
――指導は、自分でやるのとはまた違った難しさがあると。
坂本 教えるっていうのは難しいですねえ。ええ、もう教えなきゃいけない立場に突入してたんです。あの頃もう四十に手が届くところでしたからね。
これがね、私の先輩にあたる片岡一郎さんは森田甘路さんと高良健吾さんに教えたんですけど、一郎さんは澤登翠さん(女性活動弁士の第一人者)の弟子なので、教えることができるんですね。彼は私と違って、ちゃんと左脳も働く人間ですから。高良さんに「口のなかの両端にピンポン玉を二つ入れているような感じで喋ってみてください」とかね、「ここのくだりはね、台本上ではこうなってますけど、このとき画面はこうで」とか、ちゃんと筋道を立てて論理的にしゃべれるわけですよ。
マツダ映画社での思い出
――片岡一郎さんと坂本さんが最初に会ったのは、このマツダ映画社だったわけですね。
坂本 そうそう、ちょうどここ(マツダ映画社の会議室)で出会ったんです。ここで活弁研究会みたいなのがありましてね。「蛙の会」っていうんですけど。そこに入ったら1年早く一郎さんがいたんです。彼は日芸(日本大学芸術学部)の学生でしたね。春風亭一之輔さん(落語家)や講談の一龍斎貞橘さんと同期で。
――研究会では、具体的にどんな講習を受けるんですか?
坂本 ここに何人か集まって、外郎売りだとかを読んだりして。それで、マツダ映画社が提供してくれるフィルムを映写して弁士の体験をするという。手取り足取り教えてもらうという感じではなかったですけど、そういうのを毎月1回やってて。
もともとマツダ映画社は、活動弁士の松田春翠先生が戦後になって散逸していた無声映画のフィルムを集めて設立した会社なんです。普通、芸人としての技量が優れてたら経済のほうはとっちらかっちゃってたりするんだけど、春翠先生は経済的な観念もしっかりしてらっしゃって、ようするにハードであるフィルムと、ソフトである弁士が一体化した状態で商えるようにされたんです。
そのおかげで、トーキーの登場後、一度は消えかけた活弁が復活できたんですよ。だから、我々は春翠先生のご遺徳でやれてるようなもんなんです。蛙の会でも春翠先生が残されたテキストや資料を参考にしてましたね。



