水木プロに通い続ける日々

――点描! 水木作品には欠かせない技法ですね。アシスタントもまずそれからマスターしなければならなかったという。

坂本 そうそう、「うちはもう点描できなきゃだめなんですから。それにあんた、これGペンじゃないでしょう」って指摘されて。「インクをつけて描けないとマンガ家にはなれんのです。だからまあ勉強が必要です」つって。それでも「まあ、せっかく来たんだから、ゆっくりしていきなさいよ」って言われて、結局、昼すぎに行って夜7時半ぐらいまでいましたよ。もうあまりに竜宮城みたいに素晴らしいところだから帰れなくなっちゃって。

――ファンにとってはそうでしょうね。

ADVERTISEMENT

坂本 それで先生から「あんた、親が心配するんじゃないですか?」って言われて、私はその頃すでに活動弁士の片鱗があったのかもしれないけど、「うちで今日はバルサンを焚いていて、まだ焚き終わってないと思うんです。もう少しいさせてください」と大嘘をついた(笑)。 「そんなにかからんでしょう」と言われたけど(笑)。

――でも、すごく丁寧に対応してくれたんですね。 

坂本 先生には「あんたみたいな熱心な子は10年に一度くらいは現れるんです。2~3年熱心に来て、あるときパタッと来なくなるんですよ。あんたもきっとそうなりますよ」とは言われました。10年に一度って、何かスケールの小さい悪魔くん(同名の水木作品の主人公)みたいでいいなと思ってね。

©山元茂樹/文藝春秋

中1の時に活弁と運命の出会いを

――それから、通い続けることに。

坂本 土曜ともなると、とにかく先生がいるいないにかかわらず水木プロに行ってたわけですよ、画材を持って。それで先生の机を借りて、頼まれもしていない絵を描いたりしてたわけです。

 それを当時のチーフアシスタントの村澤(昌夫)さんに見せて、「ここのねずみ男の顔はこうしたほうがいい」とか「ベタ塗りはもっと丁寧にしたほうがいい」というようなことも教えてもらったりしてね。そのうちに、そんなに好きだったら中学校出たら来てもいいんじゃないかみたいな話にまでなってたんだけど……。

 そこへ映画ですよ。だんだん映画が趣味になってきたわけです。雑食だからいろんなのを観るうちに『夢みるように眠りたい』(1986年)っていう林海象監督の映画と出会って。

 これは無声映画をテーマにした映画で、佐野史郎さんの映画初出演作にして主演作。そのなかに劇中劇として活弁のシーンがあって、弁士を務められていたのが春翠先生だったんです。春翠先生の口調、そして雰囲気に魅了されました。いい顔してらっしゃるじゃないですか。いかにも芸人って感じね。もう「ああ、面白い」って思った。