橋本選手は高校を卒業してすぐに弟子入りしてるから、学生の雰囲気が抜けてない。同期に対しても睨みを利かせて、『お前ら舐めんなよ』みたいな不良の番長争いのような意識を持っていた。俺と武藤さんは、いまさらそんな小競り合いはもういいだろって思ってたけどね。
それでいて橋本選手はいろんな意味でマセてたというか、年齢のわりにはいろんなことを広く捉えていたし、貪欲で、野心家だった。新日本に入ったからには、とにかく『トップに立つ』『ベルトを獲る』ということを目標としていて、すごく練習熱心でもあった。
力はものすごくあるし、スピードもあって、ちゃんと走れる。10キロ走とか階段ダッシュとかも平気でこなしてたから、体力というかポテンシャルはすごいものがあったと思う。でも橋本選手はタイガーマスクを目指してたんだよね。当時はまだ(アブドーラ・ザ・)ブッチャーみたいな体形ではなかったけど、それでも太めではあったから、『タイガーマスクはイメージと違うだろ』って周りはみんな思ってた。本人は真剣だったけどね」
若く真面目がゆえに手を抜けない
当時、高校を卒業したばかりの橋本は、まだ世間知らずで抜けている部分もあったが、練習やプロレスに対する姿勢は真面目そのものだったという。一方、すでに成人していた武藤と蝶野は、うまく力を抜いて練習する術を身につけていた。
「武藤さんはああいう性格だから、練習でも大らかでマイペース。入ってすぐの頃から、いつの間にか道場から消えて、近所のおばちゃんのところに行ってタバコを吸ったりしていたからね(笑)。
俺と武藤さんはその時はハタチ超えてたから、真面目にやるだけじゃすぐ潰れる、みたいな感覚があった。船木選手とかは中学を卒業してすぐ入門してるから、そういう大人の知恵がない。だから、倒れるまで延々とやっちゃう。
スクワットや腕立てといった道場での基礎運動は、その時の自分にとって無理な回数を要求されるんだけど、そんなの真面目にやってたら体を壊してぶっ倒れちゃう。だから、そこまでいかない段階で、いかにうまく倒れる演技をするかしかないんだよね(笑)。『スクワット3000回だ!』って言われたら、2000回くらいでうまく倒れたりしてね。そういう自分の限界のちょっと手前をちゃんとわかってコントロールできるのが一流のスポーツ選手だと思ってたね」