「同期のなかで体力的な部分で自分が劣ってるとは思わなかったけど、橋本選手や武藤さんは最初からスパーリングは強かったね。二人とも柔道の出身だし、俺はそういう技術的なことは何もできなかったから。でも、持久力は二人に全然負けてなかったし、お互いに良いところ、悪いところがあると感じてたね。ただそれで嫉妬するというか、ライバルとして強く意識することもなかった。
俺自身は横の同期なんか見てる余裕はまったくなくて、下っ端として今日一日をなんとか過ごすことで精一杯だった。デビューしてからは、地方興行の前座で武藤さんや橋本選手とのシングルもよく組まれたけど、当時の俺は勝ち負けどころか、試合にも没頭できてなかった。巡業中は雑用が多すぎてね。
もちろん同期に負けたくないっていう気持ちはあったけど、上もたくさんいたから、先輩たちをどうやって乗り越えていくか、そういうことしか頭になかったね」
高田に「キック教えてください」と頼んだ
蝶野にとっては、そんな目まぐるしい新人時代だったが、橋本はすでにプロレスラーとしての明確なビジョンを持ち、「トップに立つ」「ベルトを獲る」という目標に向かって、行動力を発揮していたという。
「橋本選手は入門してわりとすぐにキックを採り入れて、ひたすら練習していた。キックはのちに(第一次)UWFに行く人たちが使い始めてて、ブランドみたいになっていたから、新人は使っちゃいけないものだと俺は思ってたんだよ。新弟子は投げ技、寝技、飛び技とか、基礎の10種類くらいだけを覚えて、それを組み合わせて試合をしろって教わってたから。
でも橋本選手は、高田(延彦)さんが新日本にいた頃(1984年6月27日に第一次UWFに移籍)、直接『キック教えてください!』ってお願いして習ってた。俺からすると、そこで先輩にお願いに行けるって時点ですごいというか、とても真似できない。デビュー前の新弟子なんて鼻くそみたいなもんなのに、自分から行くなんて大胆だし、やっぱりずる賢いなって思ったよ」