「こんなものを世に出せば社会に悪い影響を与える」
津守 小説は台湾ですんなり受け入れられたわけではありませんでした。1983年に新聞社が主催する文学賞を受賞するのですが、その選考委員の議論の記録が残っていて、評価は本当に真っ二つに割れたそうです。一方の意見は、「社会的な悪夢や人間の恐ろしさを描いた迫力が素晴らしい。ベッドシーンもあるが、ポルノではなく適度に抑えられている点も評価できる」というものでした。もう一方は、「こんなものを世に出せば社会に悪い影響を与える」という意見で、文学の世界ですら手放しで評価されたわけではなかった。それほどの衝撃作だったということです。
リム 作者の李昂は、この作品を発表する前は台湾の文学界でどのような位置づけの作家だったのでしょうか。
津守 この作品を書いた時点で彼女はまだ30歳にもなっていなかったと思います。高校生の時に書いた短編集でデビューしているので、すごく早熟な作家です。大学時代から故郷の鹿港(ろっこう 台湾中西部の町)を題材にした短編を書き始めていました。その後、アメリカの大学で修士号を取得して台湾に戻り、改めて台湾を舞台に書こうとして生まれたのがこの『夫殺し』です。
リム アメリカに留学したことで作風に変化はあったのでしょうか。
津守 彼女は16歳頃の最初の小説集から一貫してセックスの話を書いてはいるのですが、この『夫殺し』が、より大胆に、より赤裸々にタブーを描いていく作風が確立する出発点になったと言えます。『夫殺し』以前の作品は、まだもう少し上品な感じで、若い女性の悩みといったところに留まっていました。しかし、この作品を転機に、グロテスクとさえ言えるほどの描写力と迫力が生まれてきます。
リム 先生はこの小説について論文を書かれていますが、どのような経緯だったのでしょうか。
津守 大学院の集中講義にいらした藤井省三先生が、ご自身が翻訳して出版したばかりだった『夫殺し』を推薦されていて、面白そうだなと思って読んだのが最初のきっかけでした。

