将棋界を牽引する若き天才、藤井聡太七冠。その師匠である杉本昌隆八段が、“最強すぎる弟子”のエピソードをはじめ、楽しくトホホな日常を「週刊文春」で綴った大人気エッセイ集の第2弾『師匠はつらいよ2 藤井聡太とライバルたち』(文藝春秋)。
その中の一篇「ぎっくり腰、対局編」(2023年9月14日号)を転載する。
(段位・肩書などは、誌面掲載時のものです)
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対局前日に起きた悲劇
人間、ある程度年を重ねると身体のあちこちが痛んでくる。私の場合のそれはぎっくり腰である。
それは2年ほど前のある対局前日、私は東京遠征に備えて荷物をまとめていた。
(明日は順位戦。夜中までとことん指すぞ)
そのときは心身ともに充実していた。そして何気なく床に落ちたボールペンを拾おうとして、突然にして不幸がやってきたのだ。
グキ!
腰に激痛が走り、床に崩れ落ちる。やってしまった……。
さっきまでスキップでも踏むぐらい軽やかだったのが一転、ロボットのようにぎこちない動きになる。脂汗を流しながら私は考える。
(この状態で東京に行くのは不可能ではないか?)
前日の体調不良では延期もできず、対局場にたどり着けなければ不戦敗である。もはや対局の内容どころではなく、身体が動くかどうかの勝負となった。
歩こうとすると崩れ落ちるから、支えてくれる介護人が必要だ。しかし家族では将棋会館の中まで入りづらい。となると、やはり頼るのは彼らか?
師匠のピンチは弟子の出番。私は10人以上いる弟子たちの顔を思い浮かべる。
近くに住む中学・高校生の弟子……だめだ、彼らはまだ子どもだし、学校を休ませるわけにはいかない。
やはり日々命を削る奨励会員でなく、ある程度余裕がある大人の弟子が望ましい。そうだ、室田伊緒女流二段など最適ではないか。
「室田さん、申し訳ないけど東京まで肩に寄りかからせてくれないか?」
だめだ、何だかセクハラっぽい。




