つい先日、敬愛する作家のI穂Mチ氏から、『令和最恐ホラーセレクション クラガリ』を読みましたと連絡をいただきました。

 ホラーに目がないI穂氏からの一報に、舞い上がる想いでお目にかかりたい旨ご連絡すると、自宅でなら会ってもよいというお返事が。さっそく大阪のI穂氏のもとへ伺いました。

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 あ、どうぞ、おかけください。わざわざお越しいただいちゃってすみません。最近、外出がままならなくて……いえ、体調は大丈夫です。ありがとうございます。

 録音、始まってます? ではさっそく……『クラガリ』についての感想ですよね。「令和最恐ホラーセレクション」なんて大きく出たなあ、と思いましたけど、ちゃんと看板どおりでした(笑)。

 わたし、恐怖は猫に似てると思うんですよ。猫って、飼い馴らされた家猫でも野生を忘れないでしょう? ふとした仕草や遊びの中に、肉食動物の本能が垣間見える時があるじゃないですか。子猫がおもちゃにじゃれつく時も、ちゃんと喉笛に食らいついてる。そういう、野生と飼育の間にいる存在ですよね。たまらなく魅力的。

 恐怖もそう。もともとは生存のために危険を回避するアラートだったものが、ヒトの進化に伴って発達・分岐して、今のわたしたちは火をむやみに恐れはしない一方で、かたちのないものに怯えたりもする。恐怖は本能と感情のあわいにあり、愛を知らなくても生命活動に支障はないけれど、恐怖を知らなければ生き延びられない。さらにある時から、人間は意識的に恐怖を娯楽として消費するようになった。鋭い牙と爪を持った異種の生物を愛でるように。

 

1話目「オシャレ大好き」(背筋・著)

 内容のお話に移りましょうか。まず、背筋さんの「オシャレ大好き」。タイトルと内容の温度差何だよっていう(笑)。主人公と言っていいのか、高級アパレルブランドのショップに勤める女性が、お客さんと話していて急に「えっ?」となる場面、あそこ怖いですよね。普通にコミュニケーションできると思っていた相手の周波数が一瞬でずれて、理解できない雑音になるみたいな。でも本当に怖いのは、何を言っていたのかわかってしまうこと。ラジオのノイズから巨大な陰謀に気づいてしまうように。「わかる」ことには抗えないですもん。そして戻れない。群れの先頭の羊が崖から落ちる時、それは本当に「不幸な事故」なんでしょうか?

2話目「鶏」(澤村伊智・著)

 次は、澤村伊智さんの「鶏」。短い枚数にこれでもかと「嫌」と「恐」が詰め込まれてますよねえ。想像したくない! って思う部分ほどリアルに細かく描写されていて、脳内で勝手にビジュアライズされてしまう。小説家って性格悪いですね。祟りとか、神さま関係の「障り」は、当たり判定が鬼というか、掠ったり見聞きしたり、時にはそれについて考えただけでも強制バッドエンドの場合がある。しかも、向こうから当たりに来たりして、理不尽きわまりない。異界のほうから急にやってくる、不測の恐怖ですね。