夏が来た。大嫌いな季節だ。
ただでさえ自分自身が全身ムレムレ状態でキツいのに、外に出れば街行く男たちはムンムンの熱を放っていて、暑苦しいことこの上ない。
そんな状況なので、せめて部屋で冷房に当たっている時だけは男の姿を目にしたくない。映画も例外ではない。
こんな夏に観たいのは通称「百合映画」、つまり女の子同士による恋愛を描いた作品だ。少女たちの繊細でリリカルな描写は涼やかに映り、現実のムレ感を忘れさせてくれる。
今回取り上げる『blue』も、そんな一本だった。海辺の地方都市にある女子高を舞台に、桐島(市川実日子)と遠藤(小西真奈美)という二人の少女のひと夏の恋が静かなタッチの中で綴られている。
どこか陰があり、クラスの人間と接しようとしない遠藤。そんな彼女を遠くから見ているだけだった桐島。ふとしたキッカケで初めて言葉を交わした二人は、すぐに仲良しになり、桐島は遠藤に想いを告白、遠藤はそれを受け入れる。
本作が素敵なのは、心情がウェットに語られていないことだ。BGMが終盤までほぼ使われないなど、劇的に盛り上げようとする演出はなく、淡々と物語は展開していく。
だが、二人の表情を見ていれば、全ては伝わる。普段は不満げな顔を浮かべて退屈そうなのに、遠藤といる時だけ笑顔になれる桐島。誰にでも笑顔を浮かべているのに本心は決して表に出さない遠藤。
二人は関係が深まっても互いに苗字で呼び合い続けるような、微妙な距離感でい続ける。が、心理描写が繊細な映像の積み重ねで表現されているため、一見すると大きく変わっていない関係性の微妙な変化が、十分に理解できる。
特に印象的なのは「一緒に歩いている時の前後関係」だ。
たとえば物語の序盤、アイスを食べながら下校する場面や海岸を歩く場面では、桐島は遠藤の少し後ろを歩き、一方的に自分の想いを語る。
それが伏線となり、終盤の象徴的な場面に帰結する。
明け方、二人は海岸の通りを歩く。そして桐島は言う。「東京へ一緒に行こう」この時、桐島はほんの少しだけ遠藤の前を歩いていた。そして、桐島は遠藤の手を引いて駆け出していく。だが、後ろにいる遠藤の顔は語っている。自分は東京にはいけない、と。
桐島が遠藤に憧れることで始まった関係だが、いつしか桐島は遠藤の遥か先を行くようになっていたのだ。それは同時に、二人の物語の終焉を意味することでもあった。
二人を包み込む空間はいつも爽やかな風が吹いている。現実世界を思うと、その湿度はもはやファンタジーだ。
納涼には最適の映画である。