常識外の一手が炸裂

 私は記者控室で他社の記者と話してから控室に戻る。あれ、中村と飯塚祐紀八段の表情がおかしい? 何か虚を突かれたような、やられたと言っているような。慌ててモニターを見ると、藤井の角がおかしなところにいるぞ。

 ▲2八角!!

 この手を見たときの衝撃を忘れられない。飛車の利きを角が塞ぐなんて。たしかにここに角を引けば狙われることはないけど、「2九飛・2八角」という符号を聞いただけで棋士は顔をしかめるほどの悪形だよ。飛車の頭に角がのっかっているんだよ。どうしたらこんな手が思いつくの?

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 中村はぼやく。

「こんな手がありましたか」

 飯塚も脱帽した様子で言う。

「たしかにもう2筋を攻める将棋ではないから飛車の利きを塞いでも問題ないと。だけど、これは気が付きませんでした」

控室での中村修九段(左)と飯塚祐紀八段

「必殺の歩頭桂」も飛び出す

 モニターを見ると、伊藤の表情が明らかに険しい。ポーカーフェイスの伊藤だが、この手を軽視していたことは明らかだ。そして藤井の指し手は加速し、伊藤はその流れを押し返すことができない。

 藤井は自陣をまったく見ることなくひたすら銀を取りに行き、なんと相手の飛車まで成らせてしまった。52手目に伊藤が8筋の歩を交換してから30手以上も、素通しのまま放置していた飛車を成らせる。こんな指し回しができるのは藤井以外にはおるまい。もちろんすべて読み切りで▲6四角が絶好の攻防手だからこそだ。そして伊藤の粘りに乗じて次々と駒を奪い、決め手は95手目▲4四桂!

 藤井といえば「桂」。当時のタイトル保持者を次々と倒してきた駒だ。渡辺明棋聖とのタイトル戦初勝利の最終手が▲2四桂の逆王手。渡辺明名人から名人奪取の決め手が△8六桂。永瀬拓也王座から王座を奪った八冠達成の将棋で、必至をかけた手が△6六桂。全てが敵の歩の前に打つ歩頭桂だ。とにかく藤井の桂は性能が違う。

 藤井はさらに伊藤玉の横から銀を打って受けなしにした。実戦でこんなきれいな必至がかかることはめったにない。必至問題の大家である金子さんと「うまく必至をかけるもんですねえ」と2人で笑う。いい将棋を見るとみな笑顔になる。いつもながら、藤井の収束は将棋が美しすぎる。

 99手目▲4三金を見て伊藤が投了、終局時刻は20時3分。

感想戦でも読みの深さを披露

 終局後のインタビュー、序盤はやり損なったと思っていたこと。

 そして、藤井は第5局に向けての抱負を聞かれ、「少し期間が空くので、少しでも実力を高めて、第5局を迎えられるようにしたいと思います」と答えた。

大盤解説会場での藤井

 伊藤は本局を振り返り、やはり角引きに言及した。

「▲2八角と引かれる手を軽視していて、そこからの数手で急に差が開いてしまったので、その辺りで何かなかったかなと」

大盤解説会場での伊藤

 大盤解説会場で挨拶してから感想戦に入る。序盤はさらっと、中盤の難所から意見を交わす。読み筋のボリュームがすごい。AIが示唆するも「この手は思いつきにくいし指しにくい」と検討で言っていた手まで両者は読んでいる。感想戦でも読みの深さを競っているのだ。

 やがてあの局面になり、伊藤が「そうか2八なのか」とつぶやいた。だが藤井は楽観していなかった。▲2八角からの分岐をさらに調べていく。中村も飯塚も深浦も、正座を崩さず黙って見守っている。