先日、「週刊少年チャンピオン」で連載されていた水島新司の野球漫画『ドカベン』が最終回を迎えた。最初の「高校野球編」(八一年に終了)のスタートから四十六年、「プロ野球編」での復活からも二十三年が経った。偉業である。
そこで今回は、実写版『ドカベン』を取り上げたい。
原作漫画では、主人公の「ドカベン」こと山田太郎は最初は柔道部に属しており、実にコミック七巻分にわたって柔道の死闘が描かれている。それをそのまま映画化すると、野球部が舞台になることを期待しているであろう大半の観客を戸惑わせてしまう。
ただ、そこは東映の製作だ。時代劇黄金時代から短い時間に内容を凝縮することに手慣れている。そのため本作も、ほぼ原作そのままの展開にもかかわらず、ドカベン(橋本三智弘)の柔道部時代も押さえつつ、野球部に入って活躍し始めるまでを、わずか八十四分の間に押し込んでのけた。
が、結局は別の面で戸惑うことになる。それは、キャスティングだ。漫画原作の映画化では、現実離れしたキャラクターを生身の俳優が演じると違和感が生まれてしまう。本作の場合、主人公はズングリした地味な青年なので、その点では困らない。問題は脇役、特に岩鬼と殿馬だ。
いつも口に葉っぱをくわえた番長気質の大男・岩鬼。小柄で汚い身なりながらも、抜群の運動神経の持ち主でピアノやダンスなどの芸術感覚も卓越している殿馬。主人公が地味な分、序盤は両名の奇想天外な活躍に漫画ならではのダイナミックな魅力が託されていた。それだけにこれを演じる役者が重要になってくる。
岩鬼を演じる新人の高品正広は迫力十分で、漫画から飛び出してきたような躍動感があった。だが、殿馬の違和感が凄い。なにせ演じるのが、あの川谷拓三なのだ。当時三十六歳な上に、ルックスはどう見ても中年。軽やかさが特徴の殿馬とは、あまりに程遠い。
ただ、それは本作を「野球漫画の映画化」として観た場合のこと。佐藤蛾次郎の外国かぶれの教師、南利明のいい加減な医師――喜劇的に脚色されたキャラクターたちの織り成すベタなギャグの数々を見ると、鈴木則文監督はあくまで本作を軽いコメディとして捉えているのがよく分かる。
そう考えると、当初感じた違和感が実は作り手の狙い通りだったのではと思えてくる。「学生服姿でウットリとピアノを弾く川谷拓三」を見せられたら、笑うしかないからだ。
実写は一作で終わったが、その後もこの調子で脚色されていたら、現在のプロ野球界はどう描かれたのだろう。その中で川谷拓三はいかに――などと空想をしてみたくなる。