依頼を受けた日から約9カ月。小澤さんはスイーツスタンダート初となるコンサル案件をやり遂げた。その後も「焼きモンブラン」は順調に売れ、量産体制を整えた新工場でも製造が追いつかなくなってきた。
「『それならうちで土台のタルト生地だけつくりましょうか』と提案したのが、OEM事業のはじまりです」と小澤さん。以降、コンサルからOEMにつながるこの流れは、スイーツスタンダードの売り上げの核になっていく。
入金は9カ月後、資金繰りに奮闘する日々
追い風が吹きはじめたスイーツスタンダードだが、その裏で小澤さんは苦境に立たされていた。四万十ドラマは高知県の企業。課題の洗い出しや試作品の意見交換など、現地でないとおこなえない業務がたくさんあった。
「入金されたのはプロジェクトが終了した9カ月後。その間に発生した交通費や宿泊費、試作開発費はすべて自分の持ち出しだったんです。入金されるまで資金面が厳しくて、お店の売り上げで生計を立てていました」
当時は妻と2人で店舗を営業していたものの、ケーキをつくるのは小澤さんだったため出張するときは数日間お店を閉めなければならなかった。当然ながら売り上げが立たない。事業投資もしており、資金不足のなかで動かなければならない状況に頭を抱えた。
お店の売り上げで生活できていたこともあり「妻には事業の状況は説明していなかった」そうだ。しかし畦地さんの「あのころは事業が大変そうだったね……」という発言があるように、四万十ドラマからは入金までの間支払いを立て替えてもらうなどの援助を受けた時期もあったという。
業界特有の需要の変動も追い打ちをかけた。
「パティスリーは一般的に4月~11月が閑散期、12月~3月が繁忙期。夏場は甘いものが売れないんですよ。売り上げが少ない時期は借り入れできる金額も限られるので、まさに自転車操業でした。借り入れできる額を増やすために売り上げを伸ばさなきゃいけないという、よくない流れにもなりました。最初の2年間は本当にキツかったですね」