茶道を習いに来ていた16歳下の青年と

 一条門跡は戦後、困難になった同寺の経営打開のため、奈良社会福祉院(理事長)や茶華道斑鳩御家流家元として、寺内で青年男女を集めた「若草塾」を開くほか、各地に出張して茶華道を教授したり、自筆の書芸展を開くなど、社会に進出していた。昨年秋ごろから、同寺に茶道を習いに来ていた同町の当時高校3年生、中川浩君(20)と今年春ごろから親しさを増したという。

 

 歴史ある伝統の法灯を守るべきか、また初めて知る人間性に立脚した恋に生きるべきかに悩みを深めていた。ことに今月3日の法隆寺金堂落慶法要に続く中宮寺の外郭団体「慈光会」(名誉総裁・高松宮妃殿下)の発会式、6~7日の皇后陛下のご旅行などに追われ、「疲れた」とかたわらの人々に漏らし、神経衰弱気味で面やつれしていた。

 

 迷い悩んだ挙げ句、実弟の平松氏に相談。ついに「恋愛一途」に生きるべく決意し、外出の度にひそかに身の回りの品を持ち出していたという。さらに今春、300年の伝統を破って寺内で結婚生活に入った薬師寺の高田好胤・副住職の生き方にも刺激された。このまま伝統の門跡尼として一生を仏に捧げる生き方をすべきか、あるいは人間性に根差した生き方をすべきかーー。伝統を尊ぶ門跡尼制度の在り方はあまりに現在の世相と懸け離れすぎて数々の疑問もあり、門跡尼の出奔後、同寺信徒総代の間でもかなり論議されたほどだった。

門跡時代の尊昭尼(『法燈を護り続けて』より)

「古い伝統」門跡のシステムを疑問視する声も

 奈良社会福祉院は1947年創立の社会福祉法人で、尊昭尼は初代理事長だった。高田好胤は巧みな法話で有名で、聞いた修学旅行生は600万人以上といわれる。テレビにも出演。1967年に薬師寺管長となって金堂の再建などに尽力し、1998年に死去した。記事は見出しから「愛人」「恋愛一途」などとセンセーショナルだが、中宮寺信徒総代の次のような談話も載っている。

「夏ごろから若門跡(尊昭尼)のうわさを聞かぬでもなかったが、辞表を受け取るまでまさかと思っていた。古い伝統を持った門跡のシステムそのものについて、信徒総代会でも検討すべきではないかという意見もあります」

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 さらに尊昭尼の略歴と中宮寺についての解説も。