茅ヶ崎の名物は海ではなかった?

 そして一里塚交差点の角には、文字通りの一里塚。主要な街道には一里ごとに設けられていたという、旅の目印だけが残っている。

 

 茅ケ崎駅に近い東海道は、ちょうど藤沢宿と平塚宿の中間付近にあたる。駅から見て西側の「南湖(なんご)」と呼ばれる一帯には立場(たてば)が置かれていた。

 

 立場とは、宿場よりも規模の小さな休憩所のようなもの。実際に南湖には茶屋や旅籠があり、いざ相模川の渡河に挑まんとする旅人たちで賑わったようだ。

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 ちなみに、この南湖あたりは通常右手に見える富士山が左側に望める数少ないポイントのひとつで、「南湖鳥井戸橋の左富士」として知られていた。

 

 江戸時代末期の浮世絵師・歌川広重も、『東海道五十三次』の中でも描いている景勝地、というわけだ。この時代、まだまだこの一帯は海ではなく富士を望む東海道だったのだろう。

 

 いっぽうで、いまでは商業ゾーンが開ける茅ケ崎駅周辺は、宿場でも立場でもない田園地帯に過ぎなかった。

 状況が変わったのは1898年の茅ケ崎駅開業以降のことだ。