痛みと痛みによって結びつく

 大げさに書きすぎと思うかもしれないが、自分が感じている痛みについて「この人は本当に理解してくれている」と思えたときの感動は、これほどに大きく、その後もずっと残りつづける。

 私は話したいとも、わかってほしいとも、泣きたいとも、まったく思っていなかった。でも、たまたま話したら、わかってもらえて、ぽろぽろ泣いた。そして、それが心のもやもやを消してくれて、その後の孤独も支えてくれることになった。何が救いとなるか、自分でもわからないものだ。

 じつは、大腸内視鏡検査の痛みの件も、あるとき医師が、「誰とは言えないけど、あなたと同じ事情を抱えた人が、この病院にも他にいる」と教えてくれた。「そうなんですか!」と思わず叫んでしまった。自分ひとりではない、同じ痛みを感じている人が他にもいるということが、ずいぶん心の支えとなっている。

 人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繫がっているのだ。

 

――村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』文春文庫

痛いところから見えるもの

頭木 弘樹

文藝春秋

2025年9月11日 発売

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