三浦 今の妻です。

――本当に実現されたんですね!

©山元茂樹/文藝春秋

三浦 まずお茶に誘って、ベルリンでの最後の1週間に気持ちを伝えながら楽しい時間を過ごしました。日本へ行ってしまうことは話してはいたけれど、いつベルリンへ戻ってくるとか、今後のことについては話しませんでした。

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 彼女のほうが、そんな話は今しなくていいから、今、この時間を楽しもうというスタンスだったんです。でも絶対に帰るから信じてほしいということだけは伝えて、ベルリンを発つ日は、二人で空港で号泣しながら別れました。今思えば、妻はよく信じて待っていてくれたなと思います。

迷いがないことが圧倒的な自信につながる

――1年間のブランクと5ヶ月の猛練習を経て、2014年にベルリンの音楽大学に入学。2015年に世界的ピアニストへの登竜門の一つといわれる『浜松国際ピアノコンクール』で入賞されました。

三浦 僕にとって初めての国際コンクールでしたが、ブランクは取り戻せていないままでした。入賞といっても、ファイナルラウンドに進めなかった出場者の中から選ばれる奨励賞でした。だから自分としては満足していません。

 でも今思えば、そんな状態で良い結果を残していたら、浮かれてしまっていただろうから、それで良かったんだと今では受け止めています。

――それから4年後には、歴史ある『ロン=ティボー国際コンクール』で優勝されました。このときには音楽への迷いは完全に消えていましたか?

三浦 全くありませんでした。迷いがないことが圧倒的な自信につながっていて、ここまで確信を持って音楽の道を歩んでいる人は、自分以外にいないと思えていました。

 もちろん実力はまだまだでしたし、自分よりも上手い人はいるけれど、これまでの人生を自分で決めてこられたことがうれしくて。コンクールの結果で負けても、気持ちで負ける気はしませんでした。4年の間に1次審査で落ちてしまったコンクールもあったし、しんどいときもありましたが、音楽に対する確信と奥さんのために成功したいという思いが支えになりました。

――周りから、例えば「もっとこう弾きなさい」「もっとこんな曲を弾きなさい」と、アドバイスのようでいて、口出しをされることもあったと思います。自分の気持ちの軸をどんなふうに置いてこられましたか?