「万バズを教えてくれた先輩から『引用リツイートは、絶対にぜんぶ見なさい』と言われたので、すべて目を通して。『一重ってこんなにイジられるんだな』とか『一重だと目つきが悪いって言われるのか』って」

 モスクワ育ちの21歳芸人・きりさんが、Xでの投稿が600万回以上表示されるという予期せぬバズを経験した。その経歴に注目が集まる一方で、彼女の人生には意外な転機があった。

きりさん 写真=橋本篤/文藝春秋

「カンニングしてもいいぞ」ロシアの学校教育とピアノ漬けの日々

 きりは、モスクワの公立学校に通いながら、音楽学校でピアノを学んだ。ロシアの教育システムについて、きりは興味深いエピソードを語る。

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「テストのとき、先生が『カンニングしてもいいぞ』って言うんですよ。生き延びる力を養うためには、そういうズルも必要だという理由で、カンニングが許されるんです。ただし、カンニングしてもいいけど、くだらない手は使うなよと」

 このユニークな教育方針は、きりの創造力を育んだのかもしれない。

 音楽教育は厳しく、きりは毎日ハードなスケジュールをこなしていた。

写真=橋本篤/文藝春秋

「本当にパンパンでした。学校が14時か15時に終わるんですけど、そのまますぐ音楽学校に向かって。で、授業を受けて、練習して、家に帰ってからも宿題をやって、という。遅いときは、夜の22時くらいまで学校にいましたね」

16歳でモスクワ音楽院に首席で入学

 その努力が実を結び、きりは16歳でモスクワ音楽院に首席で入学。しかし、ピアノ漬けの日々の中で、きりの心は別の場所へと向かっていた。

 実は、きりは10歳頃から日本のお笑いに興味を持っていた。特に、キングオブコメディのネタに感銘を受けたという。

「親が日本語のしゃべり言葉を私に教えたくて、最初は日本のニュースや映画を見せていたんです。けど、私の食いつきがあまりにも悪かったので、『じゃあ、お笑いを見せてみよう』となって。で、見せてみても、私は日本の常識がなかったので、日本のお笑いを理解できなくて、面白さがわからなかったんです」

 しかし、キングオブコメディの「いじめられっ子の家への訪問」というネタに出会い、きりの人生は変わった。

「ほんと、いっぱい見せられるなかで、それだけ大笑いしたんですよ。当時はそんなに深く考えてなかったんですけど、哀愁で笑いを取れるってことを子供なりに初めて知ったというか」

 その後、きりはキングオブコメディのDVDを集め、彼らが紹介する他の芸人のネタも見るようになった。しかし、日本の文化や常識を知らないきりにとって、理解できないネタも多かった。

日本でお笑い芸人になることを決意

「日本の常識がないから、サラリーマンがテーマのコントを見てもよくわからないんですよ。『サラリーマンって、なんだ?』って引っかかっちゃったら、それ以降はなにも頭に入ってこないので」

写真=橋本篤/文藝春秋

 それでも、お笑いへの興味は冷めることなく、きりは19歳でモスクワ音楽院を中退。日本でお笑い芸人になることを決意した。

「コロナ禍に入って、さらに自分だけの時間が増えて、いろいろと考えるようになって、このままピアノを一生続けていくのは嫌だなと。でもやめるなら、心からやりたいことが見つかる時だと考えていて、でお笑いをやりたいと本気で思えたので、3年生で音楽院をやめました」

 現在、きりは人力舎の養成所を経て、ピン芸人として活動している。ピアノと違い、お笑いは観客の反応がすぐに返ってくるため、きりにとっては新たな挑戦だ。

「ピアノは基本的に弾き終わるまで反応はわからないですけど、お笑いは一発目のボケでウケなかったとか、瞬間的に反応が返ってくるので、その場で心が折れていくという。キツいことは、お笑いのほうが多いですね」

 モスクワで育ち、世界的な音楽院で学んだきりが、なぜ日本のお笑いの世界に飛び込んだのか。その答えは、彼女の独特な経歴と、お笑いへの純粋な情熱の中にあるのかもしれない。

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