加奈さん自身も、オウムを離れ、社会の中で生活することに不安を感じていた。児相の職員に語った言葉が、相談記録の中にあった。
学校は勉強が遅れているから行きたくない。算数は面積ならいいけど、他はわからないし、やりたくない。計算がめんどくさい。めんどくさがるのは、学校のように4時間とか5時間勉強しないからと、それでは困ると思っている様子。話していくうちに、ピアノは弾けるから音楽はいいと。友達はすぐに作れる方だから等話し、登校についても考えている様子であった。(原文ママ、以下同)
5歳で出家してから、ほとんどの期間を教団内で過ごした加奈さんにとって、学校で机を並べて1日中勉強することは耐えられないことだったのだ。一時保護の生活を経てもなお、オウムでの生活や、教祖の逮捕を信じられない気持ちが加奈さんから消えることはなかった。相談記録の中には次のような言葉も記されていた。
オウムのTVや新聞は気になるし、尊師の逮捕が一番気になった。何もやってないのに逮捕なんてと思うと話す。
胸のうちにこうした葛藤を抱えたまま、加奈さんは山梨県中央児童相談所を離れ、地元の児童相談所に移された。これから先、どこでどのように生活するのか、まったく見当はついていなかった。ただ、大人の言うとおりに従うしかなかった。
「オウムにいたことは言ってはいけない」
山梨から、生まれ故郷の児童相談所に送られた加奈さん。そこで数か月過ごした後、児童養護施設に送られた。まわりにオウムの子がたくさんいた山梨とは異なり、加奈さんがオウムにいたことは誰も知らなかった。養護施設から小学校に通うことになったが、周囲の大人から言われたのは「オウムにいたことは言ってはいけない」ということだった。オウムにいることは現世の人間と違って“格が高い”はずなのに、なぜ言ってはいけないのか、衝撃を受けた。
「オウムにいたことは優越感というか、自分の中では結構アイデンティティみたいに思っていたんです。そこを改めて壊されるような感じはあったと思います。隠せと言われたことは卑屈に受け止めたと思います」
