加奈さんは、大人に言われるとおりに過ごした。大人たちは「またオウムに戻りたいと言い出すのではないか」と心配しているように見えた。

 一方で、まわりの子どもたちは、突然の転校生に興味を持ったようだった。「どこから来たの?」と繰り返し尋ねてきたが、「東京から引っ越してきた」と言ってごまかすしかなかった。なんとなく山梨と答えることがはばかられた。「オウムにいたことは言ってはいけない」という大人たちの言葉が、加奈さんにウソをつかせたのだった。それからはひたすらウソをつき続けるしかなかった。

 さらに、加奈さんを苦しめたのは、子どもたちの間でオウムが話題にのぼることだった。連日のようにオウム関連のニュースがテレビで流れ、子どもたちはオウムの歌を遊び半分で歌っていた。実際に教団内で暮らしていた加奈さんにとって、自分の居場所が面白おかしく消費されることは、堪えがたいことだった。友達の間でオウムに関する話が出ると、そっと会話の輪から離れた。

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当時の加奈さんが書いた作文

 この頃、加奈さんが書いた作文が見つかった。陸上競技の記録会に出たことや学校生活の思い出などが記されている。

 私も全力を出して走ろうと思ったのですが、石につまづいてころんでしまい、全力で走れなかったのでとてもくやしかったです。〈中略〉(学校では)学校用ズックをかくされたりのいじわるをされ、その人をうらむようなこともありましたが、仲直りをして楽しく話すようになって今はとても学校生活が楽しいです。

 淡々とした文章だが、学校生活になかなかなじむことができなかったことがうかがえる。この作文を加奈さんにも読んでもらったが、「自分で書いた文章とは思えないほどしっかりしていますね」と、覚えていなかった。

次の記事に続く 「仕事がうまくいかない理由は、オウムにいたせいだ」カルトで育った若者が直面した“社会不適合”になってしまう“厳しすぎる事情”