あざだらけになっても、骨折しても

 当時、彼女は中学3年生で、その時点ですでに5種類のトリプルジャンプを跳べるようになっていた。そんな彼女にとってもトリプルアクセルは容易ではなく、ジャンプして着氷するときに何度も大きくバランスを崩しては、お尻から落ちたりひじを打ったりしてあざだらけになった。

 それだけに、挑戦すると決めて3ヵ月ほどして練習中に初めて跳べたときには「(大会で)優勝したときより、ずっとうれしかった」という(「読売新聞オンライン」2018年2月23日配信)。その後、完成に向けて新たな努力を続け、1985年11月のNHK杯のエキシビションで非公認とはいえ観衆の前で成功もした。しかし、練習中に右足首を骨折して一時中断を余儀なくされる。

1983年12月、札幌で行われた世界ジュニアフィギュア選手権 ©文藝春秋

 トリプルアクセルに再挑戦したのは、1988年のカルガリー五輪で5位入賞したあとだった。もう一つ上を目指すためにはもっとアピールするものが必要だと痛感した伊藤は、やはりトリプルアクセルしかないと判断したのだ。五輪直後に招聘された北米のアイスショーでは、「ミスター・トリプルアクセル」と呼ばれたブライアン・オーサーやブライアン・ボイタノと一緒にツアーを回り、彼らが目の前で跳ぶのを目に焼き付けた。

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 こうして彼女は1988年11月、愛知県フリー選手権で競技会で初めてトリプルアクセルを決めたのに続き、NHK杯で国際大会初成功を果たし、4ヵ月後の1989年3月にはパリでの世界選手権でも見事に決め、アジア勢初となる金メダルを獲得している。

「伊藤みどりは過小評価されすぎ!」

 伊藤はトリプルアクセルを頂点としてジャンプを武器に世界を席巻し、それまで芸術性や表現力などに評価が傾きがちだったフィギュアスケートが、ほかの多くのスポーツと同様、技術を重視する流れへと変わっていくうえで大きな影響を与えた。そんな伊藤を、大のフィギュアファンであるマツコ・デラックスは本人との対談で開口一番、《いきなりだけどまずこれだけは言わせて。今のフィギュア界は伊藤みどりの扱いが悪すぎる! 過小評価されすぎ! みどりは日本のスポーツ史において、長嶋茂雄さんとかと同列に語られなきゃいけない人なの》と評している(『Number』2013年2月21日号)。

伊藤みどり(2015年撮影) ©文藝春秋

「扱いが悪すぎる」かどうかはさておき、現役時代から日本よりも海外での評価が高かったことは否めない。伊藤自身の印象でも、カルガリー五輪で入賞したことで、やっと「逆輸入」的に日本でも一気に注目が集まるようになったという。