日本人の心の中に完成した「虚像のイタコ」
当時のようなブームじみた風景はかなり熱が冷めたようだが、令和の今でもなお恐山の大祭ではこれの規模を小さくしたような光景が見られる。こうした世相と時代の変遷を経て、イタコは「死霊を憑依させて死者の言葉を語らせる神秘的で奇怪な能力を持つ老婆の霊媒師、巫女」というイメージを得たのである。
1962年に恐山を訪れた作家、戸川幸夫は恐山の青年僧侶からこのように言われたという。
「いずれはこんなことも消えていくでしょう。いまの信仰している人々が亡くなり、イタコなども消えていったらね。寺と信仰はまた別の形で存続しなければなりますまい」
だが、彼の言葉や予想をその後の歴史は大きく超えてしまった。イタコはもはや青森県だけの存在ではない。いや、イメージとして作られた虚像のイタコは、恐山を媒介にして日本人の心の中に完成し、いまだに霊場・恐山を構成する霊威的存在として生き続けている。
そして、死者の口寄せ以外の要素をほとんど漂白された虚像のイタコは、おそらく今後人々の間で「実像のイタコ」となるであろうことが予想される。なぜなら、本来の実像のイタコはほぼ絶滅しかけの存在であり、一方で死者の口寄せを頼む人々の需要は今後も同じくして存在し続けるためである。いや、正確に言えば、虚像のイタコは既に本来の「イタコ」とは別の存在として歩み始めている。
消えゆく「実像のイタコ」
実像のイタコとは、師匠から技術を伝えられる盲目の巫女であった。しかし、戦後の高度経済成長を経て、日本の衛生状態や社会基盤は瞬く間に改善された。失明する女性は少なくなり、たとえ光を失っても福祉が充実した社会においてはイタコになる必要性はなくなった。1970年代頃からイタコの数は減る一方となり、現在最年少の伝統的イタコは1972年生まれで、しかも彼女は目に問題がない。そうしているうちに、やがて弟子を育成できる師匠イタコが姿を消した。最後の師匠イタコであった林マセ女は2000年代に亡くなり、もう弟子を育成する術をもつイタコはこの世に一人もいない。
楠正弘の『庶民信仰の世界』によれば、津軽イタコと南部イタコあわせて1970年代末でイタコの数は約50名とされている。それが1980年度の恐山秋詣祭で配布されたイタコ名簿によれば33名となり、そこから1985年には23名となった。高齢化や病気のため、死亡のために不参加となる者が年々増えて、恐山にやってくるイタコは2014年の段階でわずかに3名だったという(『「イタコ」の誕生:マスメディアと宗教文化』大道晴香著、弘文堂)。近い将来、伝統的なイタコが消えることは明らかだ。
※中村タケさんは2025年11月頃から体調を崩され、ホトケオロシが難しい状態になっているとのことです
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