イタコを取り巻く環境の厳しさと、残された時間の少なさ
私は10代の頃、「昔は当たり前だった機械や言い回しが若い世代に通じずショックを受ける中高年の話」を笑い話の類だと思っていた。しかしそれは違った。
かつて当たり前のように通じた用語やミーム、誰もが知っていた作品といった共通のものが消える恐怖と悲しみ、他人から見れば実に小さな事柄であっても、「やがては自分以外同じ記憶や共感を持つ人が存在しなくなる」時代を想像して、それがとてつもなく恐ろしく感じる。捉え方によっては、宇宙空間にただ一人放り投げられるような寂しさと絶望にも近かろう。
あの世があるとするならば、もしかしたら先のヤーガン族のお婆さんは、誰も知り合いがいない今のこの世より、同族がたくさんいるあの世の方が幸せになれているかもしれない……。そんな無常な想いに駆られるくらいに私は最後の一人の一人ぼっちさが恐ろしい。
国外の話だけではない。日本でも、明治生まれの人間がいなくなりかけている。2024年には国内最後の明治生まれの男性が亡くなり、2025年現在、国内で生きる明治生まれの人は女性が4名だけとなっている。
現在のイタコは、つまりそういう状況なのである、タケさんと真の意味で同じ目線で話せる仲間は、もはやこの世に存在しないのだ。そんな中でも、我々の前でこうして過去を語り、そしていまでも救いと祈りを求める人々の手を取り続けるタケさんは、まさしく宗教者の鑑と言えるのではないだろうか。
また改めてイタコを取り巻く環境の厳しさと、残された時間の少なさを実感する。タケさんは本当に元気で足腰もしっかりされている。受け答えもばっちりだ。しかし、いつ何があるともわからない。それだけに、正真正銘のイタコが90歳を越えてもなお存命し、私の前で話してくださるのが奇跡に思えた。
「会いに来てくれだっでかね。はあ嬉しいねえ」
「あなたの仕事は……写真家さんだっけがね? なーんでまた北海道からわぁのどこさ来たの?」
最後にそう首をかしげて訊ねたタケさんに、私は「じいちゃんに会いたかったのもあるけどね、同じくらいタケさんに会いたかったからだよ」と答えた。
「いやまさかぁ」
「本当だよ。もうね、イタコさんに会えないと思ってたの。みんな辞めてるか亡くなってまってる(しまっている)と思ったの。だからタケさんに会えて嬉しいの!」
「ほんど(本当)にかぁい。ずんぶ(随分)愛嬌いい人だねあんた。声もいい人だねえ」
「なんもだよ(そんなことないよ)。ここで本物のイタコさんに会えてね、タケさんに会えてね。本当に嬉しかったよ。
これで本物のイタコさんがね、どうしてイタコになるのか。どういう人だか、みんな分かってくれるよ。みんな喜んでくれるはずだよ」
「こんなイダッゴさ会いに来てくれだっでかね。はあ嬉しいねえ、立派だよぉ。私がエライわけじゃないんだよぉ、ホトケの言葉なんだから」
そう言って、最後の最後までタケさんは笑顔いっぱい、そして頭を深々と下げていた。