イタコとは本来…

「今日だば(は)本当よく来たね。ご苦労様です」

 玄関の扉を閉めるまで、タケさんは目いっぱい礼をされていた。その小さな体に、今まで何人のホトケや神を降ろし、イタコの業をこなしてきたのだろう。どうかこの人がいつまでもいつまでも長生きしてほしいと、私はあの笑顔を思い出すと願わずにはいられない。

写真はイメージ ©︎AFLO

 今回、私はこの貴重な経験により、イタコとは本来、地域社会やそこにおける小さな人と人とのコミュニケーションの中で真価を発揮する存在であるという意味をまざまざと見せつけられた。

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 この本来のイタコの姿と、恐山で行われているイタコのホトケオロシやメディアがつくったイメージのイタコを同列に扱うのはかなり無理がある。

 しかし、一方でその虚像のイタコであろうと需要があるのが現状であって、もはやそれは虚像ではなく、別種の信仰としてすっかり根付きつつあるように思う。そして、伝統的なイタコはやがて滅ぶのであろう。

 私は、本来のイタコと現在のイタコがまったく別のものであること。そして、その中で求められる信仰やカウンセラーとしてのイタコの役割が広く世に知られ、彼女らに対し世間が持ち続けているある種の偏見や疑惑の感情が解消されること。それにともない、霊感商法に近い悪質なイタコの名をかたる存在が今後現れなくなること。そして1年でも長く、現在数少ないながらも青森の地に残る、伝統的なイタコたちが長生きされることを切に願っている。

※中村タケさんの「93歳」は取材当時の年齢です。また、タケさんは202511月頃から体調を崩され、ホトケオロシが難しい状態になっているとのことです

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