「諦めんな。父親だろうが、捜せ!」
最後の望みを託して豊間小学校へ向かう。ちょうど校内に避難していた人が自衛隊に先導されて移動を始めていた。貴さんは姫花さんの担任教諭を見つけ、「うちの娘はいないですか」と尋ねた。担任は驚いた様子で「姫ちゃんは家に帰ったはず。学校にはいません」と言った。貴さんは、自分がどのような状態だったか覚えていない。膝から崩れ落ちたのかもしれず、呆然と立ち尽くしていたのかもしれなかった。先頭にいた自衛官に怒鳴られたことだけは記憶している。
「諦めんな。父親だろうが、捜せ!」
あとで「心が折れそうな人間への自衛官なりの励まし方だった」と気づくのだが、その時は「うるさい。もう捜すだけ捜していないんだ」としか感じられなかった。それでも自衛官の言葉に奮起し、「あり得ないだろうが、親類の家に逃げているかも」と市内の親族宅を車で回った。それが終わると、もう万策尽きた。
「妻にどう報告しよう。いなかったなんて言えない」
午後になって家族が身を寄せている塾へ戻った。
「ごめん。一生懸命に捜したけど、見つからなかった」。正直に伝えて、皆で泣いた。「妻は今でも『その時が一番悲しかった』と言います」と貴さんは話す。
心配した友人が塾を訪ねて来た。「病院にいるかもしれない」と、車の助手席に乗せて連れ回ってくれた。消防署にも行った。最後は夕方に警察署で捜索願を出した。
こうして発災翌日は終わった。
「お母さん、まだ姫ちゃんが見つかっていないんだ」
次の日は前日に捜した場所を再度訪れるなどしたが、状況は変わらなかった。断水が続き、水の確保にも走り回った。乳飲み子を抱えているのにミルクを作るにも苦労した。
発災3日後の3月14日、兄から電話があった。母・明美さんの遺体が「前日に見つかった」と警察から連絡があったという。実家近くの瓦礫の中で発見された。
兄と2人で安置所になっていた市民プールを訪れた。棺桶が間に合わず、黒い納体袋に入れられた遺体を確認した。津波で亡くなった人が多数並んでいて、濃い潮の香りがした。
貴さんは母親の遺体を前に「お母さん、まだ姫ちゃんが見つかっていないんだ。なんとか見つかるよう力を貸してもらえないか」と泣きながら頼んだ。




