「姫ちゃんを置いて逃げるの」と夫婦喧嘩に
当時のいわき市には別の危機も迫っていた。市役所から北へ43kmの地点にある東京電力福島第1原発だ。メルトダウン事故が発生し、爆発や火災が続いていた。
多数の市民が避難を始めていたが、貴さんは「原発がどうなろうと、娘を捜す」と決めていた。ただ、生まれたばかりの二男への影響が不安だった。風呂にも入れず、洗濯もできない日が続く。飛来した放射性物質が付着したまま二男を抱くなどしたらどうなるだろう。
家族全員で塾にこもることにした。それにも限界がある。赤ちゃんには発疹が出始めた。
「一度避難して、風呂に入り、子供に食事もさせて態勢を立て直そう」。妻に提案すると「姫ちゃんを置いて逃げるの」と喧嘩になった。翌日にもう一度相談し、貴さんがすぐに単身戻るという条件で避難した。
車で茨城県水戸市へ向かい、駅前のハンバーガー店の水道でようやく手を洗えた。ホテルは休業するなどしていて宿泊先がない。交番で相談すると、「放射能のスクリーニングをしないと、どこにも入れない」と言われた。自力での避難を諦め、茨城県内の友人に連絡すると、新しいベビーバスやオムツ、肌着まで買いそろえて待っていてくれた。
友人宅に2泊して戻る準備をしていた時、電話が鳴った。発災から1週間後に姫花さんが見つかったという警察からの連絡だった。
「本当に姫ちゃんかな」
「精神的にも肉体的にも耐えられそうにない」と言う妻を残し、貴さんはいわき市へ戻った。そして兄と2人でまた安置所へ行った。遺体は木の箱に入れられていた。発見場所は隣の豊間地区の砂浜辺りだという。薄磯から海に流され、塩屋岬の沖合を経て、はるばる豊間に流れ着いたらしい。貴さんは「見つかってよかった」と思う一方、信じたくなかった。兄に「本当に姫ちゃんかな」などと尋ねた。
津波の死者が多かったので火葬は1週間待たなければならなかった。
塾は学校が始まるのに合わせて再開したと記憶している。教えるのは小学5年生からなので、姫花さんと同年代だ。重なる部分もあったが、仕事では努めて冷静さを保とうとした。
「しばらくは毎日涙を流しました。3年間はきつかった。娘のいない誕生日、娘のいないクリスマス……、受け入れられるまでには時間がかかりました」と話す。思い出が楽しいほど辛かった。
ところが、姫花さんは意外な形で“生き延び”る。




