夫婦の心の支えになった“ハンカチ”

 きっかけは新聞記事だ。デザイナーになる夢を作文にしていたことや、コンクールで入選した塩屋埼灯台の絵が紹介され、これを見た京都のデザイナーから「夢をかなえられるかもしれない」と連絡が入った。収益を震災復興に充てる企画展でハンカチの絵柄に採用された。

塩屋埼灯台を描いて入選した絵は、右の空撮のように空から見た構図。小学生の想像力に驚かされる(鈴木さん宅)

 貴さんは展示の終了後も姫花さんの災害弔慰金でハンカチを制作し続けた。塩屋埼灯台の近くの土産物店などで販売しており、これまでに1万4000枚以上売れた。収益は市の災害遺児激励金基金などに寄附しており、寄附総額は341万円にのぼる。

「娘の存在を忘れないでほしいと思ったのです。でも、ある意味では彼女が稼いだお金で彼女がデザインしたハンカチを作っているので夢がかなえられたような気もします。収益が他の困っている人の役に立つのであれば、これほど素敵なことはありません。彼女はハンカチという存在に姿を変えて人の役に立っている。働いて仕事をしているのとなんら変わりないような気もします」と貴さんは語る。

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 ハンカチは災害を考えるためのツールにもなった。「悲しさを思い出させる写真集は本棚の奥に入ってしまいがちです。明るくてキレイなハンカチだと、いつも持ち歩いて普段使いにしてもらえます。ふとした時にハンカチができた背景を思い出してもらえたら」。こうした防災グッズはあまり例がない。夫妻にとってハンカチは心の支えにもなってきた。

被災後に完成した家には、楽しみにしていた鈴木姫花さんの部屋も設けられた。果物の静物画が飾られていた(鈴木さん宅)

 体験を語る活動は、あまりに精神的な負担が大きいので、回数を限りながら行っている。今回の取材でも貴さんは何度も涙があふれ、話を続けられなくなった。身を切るような活動である。

 毎年話すのは長崎県と長野県から来る2校の高校生だ。「小さかったので震災の記憶がない、もしくはまだ生まれていなかったという世代に『自分の命を自分で守れるだけの知識を身につけ続けてほしい』と伝えたいのです。私にはできませんでしたが、大切な人の命も救うことができるかもしれません」。