「現役時間は短いのだから、もっと真剣に野球に取り組んでもいいんじゃない?」
もちろん、吉田が命を懸けて野球に取り組んでいることは重々承知している。それでも、夫のさらなる活躍を望む夫人は、意を決して夫に言った。夫人からの問いかけに吉田が応える。
「いや、オレは野球選手である以前に《吉田正尚》なんだ。《野球選手》としての人生ではなく、《吉田正尚》としての人生を生きたいんだ」
それは決然とした口調だった。この言葉を受けて、さらにゆり香さんが続ける。
「本当にそれで後悔しない?」
そんな問いに対して、吉田は何も答えない。夫人はさらに続ける。
「現役引退したときに、本当に“すべてをやり切った”って言えるの?」
……こんなやり取りが、これまで何度か繰り返されたという。
「私の言葉に対して、主人もいろいろ考えたようです。あるとき、彼は“引退するときには、すべてをやり切ったと言いたい”って言いました。やっぱり、自分の中にも“まだまだできるはずだ”という思いがあったのだと思います。日本からアメリカに渡って、周りの選手のポテンシャルの高さを実感したからだと思います。自分の能力だけでは追いつくことはできないほどのすごい人たちが周りにはたくさんいる。それまで以上の努力が必要になるし、新たな取り組みも必要になるかもしれない。本気でやらないと、いつトレードに出されるかわからない。いつクビになるかわからない。そんな厳しい世界にいることの自覚が強くなったんだと思います」
人生には辛いことがあった方が、逆に楽しくなる
渡米によって、さまざまな気づきがもたらされることとなった。吉田にとって、ゆり香さんにとって、「メジャーリーガーになる」という決断は、一人の人間として、さらなる成長を促すきっかけとなったのである。楽しいことばかりで、人生は楽しいのか?
吉田には、他にも口癖があるという。ゆり香夫人が続ける。
「主人がよく口にするのは、“人生は8割ぐらい苦しい思いをして、2割の喜びや楽しさを感じるんじゃないかな?”という言葉です。今までも、これからも、そんな考えを持って生きていくんだと思います」
この言葉に込めた意味を本人に尋ねると、吉田は大きくうなずいた。
「そうですね。人生って、辛いことが8割以上占めていると思います。でも、変な言い方になるけど、楽しいことばかりで、人生って楽しいですかね? むしろ、“人生には辛いことがあった方が、逆に楽しくなる”って思いませんか? たくさん苦労して、挫折したり、つまずいたりした方が、ゴールに到達したときの喜びは大きいじゃないですか。その喜びを手にするために、途中には辛いこと、大変なことがある。辛いことにぶち当たった方が、次に進むためのステップになる。そう考えると、むしろ“楽しいことばかりの人生はつまらない”って思えてくるんですよね」
彼は「頂」という言葉を使って、さらに説明を続ける。