4日目の2月23日、金は前清水署長を名指しで呼び、横になって話し込む。さらにコタツに入っている人質の中に加わり雑談をしたり、ライフルを傍に置いて入浴すらしていた。籠城以降ほとんど眠っておらず肉体的に限界に近づいており、17時半には人質3人を解放する一方、この日、ライフルを約40発撃ち、警察との睨み合いを続けた。

籠城5日目――ついに逮捕

 籠城5日目の24日朝、金は訪問者が差し入れた現金などの他、自分の時計などを、ふじみや旅館の主人に迷惑料として与え、15時ごろ、体調を崩した人質を解放しようとして玄関に出てきた。記者たちが金を取り巻き、その中に記者になりすました6人の警官が紛れ込んでいた。金はそのことに気づいてはいたが、気のゆるみがあった。というのも、高松県警本部長が明日(25日)の朝までに暴力団の実態について発表すると約束したからで、それさえ済めば自殺して堂々と責任を取ろうと考えていたのだ。実際、母親からも自決するときのための新しい下着が差し入れられていた。

 気の緩みと疲労のなか、記者になりすました警官が無防備の金に飛びかかった。1人が喉を絞め、他の2、3人が足を引っ張り、金をひっくり返した。このとき、金は舌を噛み切って自殺しようとしたが、手錠やメモ帳を口に突っ込まれ阻止される。その場で現行犯逮捕。88時間に及ぶ籠城はこうして終結した。

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 殺人、監禁、爆発物取締規則違反などで起訴された金の裁判は1968年6月25日から静岡地裁で始まる。

 争点は、彼の在日朝鮮人としての生い立ちが犯行にどれほどの影響を与えたかという点だった。検察側は、金被告が事件に自身の出自を後付けで関連させようとしたものとして死刑を求刑。対して、弁護側は同被告は国籍選択の機会を与えられたことがなく、日本の裁判では金を裁けないなどして公訴取り消しを求めた。

刑務所で「特別待遇」だったことが発覚

 ところが、公判途中の1970年4月、とんでもない実態が発覚する。金被告が「希望していた爆発物を入手した」といった内容の供述をしたことをきっかけに、勾留先の静岡刑務所未決監独房で金が特別待遇を受けていることが判明したのだ。

 散歩や面会などは自由で、金品の持ち込みも無制限。独房には、脱獄にも使用できる出刃包丁、ヤスリ、ライターや、カメラ3台、望遠レンズ、テープレコーダー、トランジスタラジオ、ベンジン、香水、金魚鉢などがあったばかりか、看守がエロ写真を手渡していた。なぜ、こんなことが見逃されたのか。

 その背景には、金が自殺を示唆して看守らを脅迫していたことから、もし実行されれば、金を英雄視する左翼日本人やマスコミによる刑務所バッシングを招くという判断があった。