懲役は…

 結果、法務省矯正局長以下13人の法務関係者上級職員、13人の専従職員が停職・減給・戒告・訓告などの処分を受け、金に脅迫されて包丁を差し入れた看守は殺虫剤を飲み自殺している。

 1972年6月、静岡地裁は金被告に無期懲役の判決を下す。2年後の1974年6月に東京高裁が控訴棄却、翌1975年11月、最高裁も上告を退け無期懲役が確定した。金は熊本刑務所に収監され24年間を過ごし(その間の1979年に在日韓国人女性と獄中結婚)、1999年(平成11年)に東京の府中刑務所に移送された後、千葉刑務所へ。

 暴力団関係者を名乗る人物から脅迫状が届いていたこともあり、同年8月29日、法務省は金を仮釈放し韓国に送還することを決定する。二度と日本の土を踏まないことが条件だった。

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31年ぶりに釈放された姿(写真:時事通信社)

 すでに70歳になっていた金は7日に出所後、韓国に渡り本名を金嬉老から権禧老に再変更。2000年初めごろより、獄中結婚した妻と、母親の生まれ故郷である釜山で同居生活を送るようになる。

祖国では「英雄視」されたが…

 韓国社会は金を「日本で民族問題、差別問題と戦った英雄」として迎え入れた。ただ、本人は韓国人といえども、中身は完全な日本人。韓国語は一切できず世間とのコミュニケーションに悩まされる。

 さらに同年4月、妻が現金や預金通帳など約6千万ウォン(約600万円)相当を家から持ち出したまま行方を絶った。妻は窃盗、私文書偽造などの容疑で指名手配され、1年5ヶ月後の2001年9月に逮捕されたが、取り調べで夫の暴言、暴力に耐えきれなくなり、それに対する慰謝料として現金を持ち逃げしたと供述した。

 一方、金は1999年末に自身の講演会で既婚者女性(同43歳)と知り合い、妻が逃げた後の2000年6月ごろから不倫関係になった。ある日、彼女から「2人の仲を疑った夫が私を殺そうとしている」と相談され、8月25日、仁川の旅館に女性と宿泊した際、夫の殺害を計画。

 9月3日、釜山市内のアパートに押し入り、部屋にいた女性の夫(同46歳)を長さ1メートルの手製竹やりで脅し、約1時間にわたって室内に監禁、軽い怪我を負わせ、室内の布団などに火をつけた。通報によって警察が駆けつけ、殺人未遂と放火容疑で逮捕。

 このとき、夫との揉み合いで血を流した金の姿がセンセーショナルに報道されたこともあり、10月に予定されていた「朝鮮人・権禧老」と題したミュージカルの上演が急遽、中止になった。