「情夫は小説家、情婦は女子大学卒業生」

 その中で「自然主義の高潮 紳士淑女の情死未遂 情夫は文學士、小説家 情婦は女子大學卒業生」という、当時のメディアの反応がうかがえる見出しの東朝を見よう。

 既報のように本郷区曙町13番地、会計検査院第四課長、平塚定二郎氏の次女・明子(23)はさる21日夜9時ごろ、突然普段着のまま家出して行方不明になった。家族の心配は尋常でなく、東京市内はもちろん鎌倉、箱根、銚子などの心当たりの場所へ人を走らせ、警察に保護願を出した。平塚氏自身は静岡まで探しに行き、いろいろ尋ねて回ったが、少しの手がかりもなく引き返してきた。ところが翌22日夕刻、明子の友人某の下に届いたはがきがあり、その文面によれば、明子は21日の上野発終列車か22日の一番列車で宇都宮か日光方面に向かった形跡があった。そのため、平塚家はさらに宇都宮、仙台、青森の各警察へ保護願を提出。明子の母は以前から知り合いの文学士・生田弘治氏と同道して23日の上野発一番列車で宇都宮へ向かった。

 

 栃木県警察部に出頭して、植松部長が不在のため、中津川保安課長に事情を話し、明子を保護した後は発表されても仕方がないが、それまではなるべく秘密に保護を、と懇願。県庁前の旅館に宿泊した。24日朝になって、明子が塩原の山奥の尾花峠(※)で情人の文学士・森田米松(号・白楊、二十五弦)と手を携えて徘徊しているところを塩原村巡査に発見、保護されたとの通報があった。そのため、取るものもとりあえず塩原に向け出発。無事2人を引き取ったという。
※尾頭峠の誤り

栃木県那須塩原市の現代の光景。1908年の“事件”当時は塩原村で、1919年に塩原町となり、2005年に黒磯市・西那須野町・塩原町の3市町の合併により那須塩原市となった ©AFLO

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 見出しの「情夫」「情婦」は現代のような刺激的な響きではなく「男は」「女は」程度の感じなのだろう。記事は明子の性格などを描写。「今回の家出は情夫・森田文学士と久しい間意気投合した結果、情死を約束したのに相違なく、それは二人が途中で友人宛てに出した数通の手紙で明らかだ」とした。